最近つくづく感じる事の一つに筋肉があげられます。
車社会になって久しいですが、日常的に歩行の機会が減り見直しされているのが、体調管理の上でウォーキング、ジョギング、ランニング。
健康のためにと特に高齢者が進んでウォーキングしている姿が目につきます。
また、それにつれてマラソン大会の参加者は増える一方ですね。
私自身の経験で云うと、ここ5,6年病気をして下半身の衰えが目立ち、持続的な歩行に疲労を感じ休み休みでないと歩けないほどになりました。
2年ほど前から膝に痛みが出てしまい、何とかしようと下半身を鍛え始めました。
まず手始めに素振り。
合気道で木刀、杖の振りを強くするためにと持っていた鉄棒(5キロ強)、長さ88センチの「振り棒」の素振りを再開、当然ながら若い頃と違い、何十回も振ると体に負担がかかるので回数を5回とし、裂帛の気合とともに振り下ろすことに。
合わせて始める前に、振り棒でストレッチを数分やるようにしました。
四股、スクワットなども合わせてやっていましたが、最近は会社の階段を走って上り下りする様に変更し、毎日始業前に合気道の弟子だったスタッフと合気剣術、杖術の稽古を10分ほどやることで効果が出て来て歩行が軽快になりました。
これなどは使うことで筋肉がついてきたのでしょう。
今年になり、久しぶりに先輩が開催する「剣、杖の講習会」に参加できるようにもなりました。
今後も継続して筋肉を付けねばと思っています。
使わねば耗(へ)りて、使えば増える物は智と力なり。
(海保青陵「経済談」より)
海保青陵(1755-1817)経世思想家。朱子学など教養を踏まえ、日本の伝統に立つ経済論を展開。
智とありますが、頭も使わないと耗(へ)ると言っているのでしょう!
表題この本からの引用です。
本をめくるとこの言葉が目に留まりました。
理由は、前回書いたブログ「文章作れぬ若者」が頭にあったためです。
解説ではこう書いています。
「物を使えば消耗する。しかし人間の知恵と力は逆である。使わなければ少なくなり、使えば使うほど増えるのだ。日々勉強、訓練、経験の積み重ねは、頭と体を鍛える。使い続けてこそ、知識は知恵となり、体は考えるより早く動く。能力が劣っていると嘆く者も、使い続けていくことで誰もが知恵と力は増えていく。使った分だけ得をする。頭と体は使った方が得だ。使わなければ減っていく一方だということだ。」
「文章作れぬ若者」が増えているものは、この論理に従えば使わないからでしょう。
200年以上前に海保青陵が残した言葉が今でも通用するのは、人間が持つ特性は変らないと云うこと。
当時と今とでは、生活環境が大きく変わっています。
しかし、パスカルが残した「人間は考える葦である」と云うことは不変と思うのです。
この問題は、今の生活環境から「使う」機会が奪われていることを鑑みて、学校教育でそれを補う工夫がされないと「思考力」はますます劣化していくのではと憂慮されます。
日々の積み重ねの中、考える事、動く事を止めてはならないという事を改めて思いました。
K.Kさんコメント有難うございます。
その通りですよ!
智・身体とも使い込めば込むほどに能力が高めるものです。
「日々の積み重ねの中、考える事、動く事を止めてはならないという事を改めて思いました。」
日頃より、研鑽を忘れず「高み」を目指してください。
広告の件宜しく!