この記事を読んだ時、「さもあらん!」思えました。仕事でいろんな人と会話する機会が多々あります。
若者に限らず、傾向として「漢字に弱い」との印象を受けていました。そんな経験から読書をしてない様子が見て取れました。
当然個人差があり一概には言えませんが、その傾向があるのではと思えるのです。
昔、先生から日記を書くように薦められた意義は「文章を書く訓練」だったのでしょう。
この記事にその一因として「SNSの普及がある」と書かれていました。小見出しに「略語やスタンプ SNSから乱れ」と。
12月4、5日と新聞でトップ記事として報じています。
危機感から大きく取り上げたのでしょう。
この記事では「長文読み書き減 要因か」とあります。
やはり、「読書不足」「文章作成」が減っているのが原因と報じています。
読書の効果は「思考力」を身に付けさせますし、文章作成も同様です。
「文章構成法」この本が出版されたのは昭和38年9月30日、546ページの内容になっており文章を書くことに必要な知識が埋まっています。文章作成の骨子として簡潔に上げると手順として、
- 主題をきめる
- 計画をきめる
- 草稿を書く
- 推敲して書き直す
とあります。
この手順には思考力を培う要素があります。
この作業から論理的な思考、脳力の訓練に適しているのが分かります。
あの頃は通信媒体は文章が主流、その能力に重きを置いていたことが内容の多さから理解できますね。
翻って、新聞で報じているように通信媒体の変化により、読む、書くの作業が簡便になりすぎて劣化しているとは言い得ています。
また、テレビに出るテロップの誤字もめだちますね。
昨今、仕事、作業する仕組みも大きく変わりマニュアル化が進み、「考える」ことを必要とする機会が減少していると思えます。
例えば、昔、職人の世界には徒弟制度があり、「技を盗め」「見て覚えろ」というように、本人の自覚を促す教え方でした。
そこに、主体的に考え技を身につけさす仕組みが存在していました。
私、学生時代に合気道を部活として行っていましたが、教授する師範も細かな説明をせず、見て覚えろとのやり方でした。
取引先の例ですが、作業上、品質の標準化、安定の裏付けにマニュアルに頼っています。
作業者は手順を踏んで「行えばいい」となってしまい、不良品が出て注意すると答え「マニュアル通り」作業したからというだけで終わってしまうようです。
そこには「なぜ不良品が出たかと考える作業」が奪われている様に思えます。
学生の頃教わったこと。
人間の特性を表現したもので、最もよく知られているのは、フランスの哲学者パスカルの次の言葉でしょう。
「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」として、人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したもの」ネット記事より。
新聞で大きく取り上げた理由も、ここにあるのでは?!
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