先月下旬、取引先の依頼で、ヘアーライン加工のため、埼玉県富士見市下南畑方面にある研磨屋に出かけると途中に石碑を発見、何だろうと思いつつ、研磨屋さんへと向かいました。
仕事の打ち合わせを済ませ、帰途に就いた時、石碑が気になり、来た道を辿りながら石碑のある場所に駐車して見学をすると、由来なる説明書きもないのですが、軍人関連の石碑と推測しました。
JAいるま野南畑支店、駐車場の一角に建てられていました。
会社に戻って詳しく知ろうと思いインターネットで調べたのでしたが該当の情報は見つからず、其のままにしていましたが、当社に試作塗装依頼していた会社の方がみえられたので聞いてみたのです。
その会社、その近辺にあるのものですから。
スマホの写真を見せながら、聞いてみると、本人わからない様子。
調べてくれない?と無理なお願いしていたのですが、今日7/3、その方が用事ついでにと当社に寄ってくれて、私が不在のため、その調査結果をスタッフに伝言してありました。
予想外の早い展開なので、薬局に居た私、待ち時間を利用してメール伝言に沿ってインターネットで調査。
内容はこうでした。
「彰忠碑で探すと2ページ目あたりに水神碑 旧新河岸川 富士見市南畑村彰忠碑があり、その36ページあたりに詳細がある」との事。
2ページ目に、載っていました。
想像したとおり、功績をたたえる碑のようです。
由諸書きには、「日露戦争戦死者8名と戦歴、日清戦争従軍2名、日清・日露両戦争従軍者14名、日露戦争従軍79名、第1次世界大戦従軍4名の名が刻まれている。大正7年(1918)5月造立。」
現場には何一つそれを説明するものがないのはさびしいですね。
お国の為に働いた国民に対する礼儀がなっていないような気がします。
外国でしたら、それぞれの名を石碑に書き記し、その栄誉を表彰するでしょうに!
昔、110年以上前に、この南畑村からお国の為に戦地に赴いたご先祖様がいた事を知ら占める義務があるようにも思えるのです。
そのためにこの彰忠碑を建てているのですから、詳細な説明があってもいいのではと感じました。
※追記H30.09.09、写真をよく見ると掃除がちゃんとされていない。こんな様子、戦後軍人さんに敬意を払わない戦後の日本人を見る思いがする。
仰る通りです。
天皇陛下、総理大臣が靖国神社に堂々と参拝できないのは全く情けない。
戦争に負けたからと言って、すべてが悪と思い込んでいるのは
異常ではないか。
そういう面での総括がされていないような気がしてなりません。
大東亜戦争で負けた結果の東京裁判で戦争裁判が戦勝国で
行われた結果、7人が処刑されました。
最大の戦争犯罪は民間人に原子爆弾を二度も使用したことではないでしょうか。
コメント有難うございます。
小生、昭和21年生れ、戦後教育の影響を受けた世代、子供心に戦争で武器を使って同じ事をし、勝った方が正義、負けたら悪。「喧嘩両成敗」と教わり、納得できない自分がいました。
ブログで何度か書きましたが、子供の頃にある大人から言われた言葉が戦後の在り方を見直す切っ掛けとなりました。
「坊や、マッカーサーは日本人の勇気と団結心を恐れ占領政策で弱くしようとしている」、
この年まで自分なりに戦前・戦後を見直し、リビジョンした結果、
「彰忠碑」を観た様子から、ブログで述べた思いが出てきたのです。
「命を懸ける軍務」についている人たちに敬意を払わない、それが異常な事と思えない日本人がいる。それが異常なのにね!