5月13日の稽古日に、見学に来られました。
朝崎郁恵さん、当会の会長、会主の師匠にあたられる人です。
そんな縁で、ある時、朝崎郁恵さんのライブがある事知り、聴きに行ったことがありました。
その時CDを購入しサインを頂いた事もありました。
その後NHK「新日本風土記」テーマ曲に「あはがり」が採用され、全国に知られる様になったのでしょう。
購入したCDのタイトルが「おぼくり」。
その頃は未だ奄美民謡については詳しくは分からない面があり、聴いた歌の印象はこれが奄美民謡という程度の思いでした。
しかし、両親が奄美喜界島の出身ということもあり、幼い時から両親の親戚、知り合いが家に集まって「唄あしび」する機会が多々ありました。
母親の従弟、同級生などが奏でる蛇皮線に合わせて酒の席で唄、踊りと楽しそうに興じていた事を思い出します。
また、同郷の人達が運営する「小野津敬老会」には昭和22年から30年まで毎年連れられて、唄、踊りに興じる場面をみています。
方言が使われ、会話は分かりませんが、ある程度年齢が行ってからは多少なりとも意味を理解できるようにはなりました。
母親が存命の頃は、親戚縁者が集まった時には、「唄あしび」が行われる機会もありました。
昭和50年代です。
叔父も蛇皮線も弾けました。
叔父の家でもやっていました。
最後には六調、天草と手踊りで納めます。
おふくろは唄が上手く、親父など、踊り、太鼓も上手でした。
親父の同級生に、聞いたことですが小学生の頃から太鼓を敲くマネ事やっていたようです。
言われれば、六調が始まれば、座ったところから手拭をねじりながら手踊りするまので仕草は確かにどうにいったものでした。
そんな環境が奄美民謡を習う切っ掛けにはなりましたが、習う気になったのはずーっと後の事です。
「東京奄美サンシン会」に在籍する事11年、再び朝崎郁恵さんと会う機会に恵まれたのです。
会主、会長、師匠である朝崎さんが来られると言うわけで、懐かしさと、多少の興奮が伺えました。
生徒たちも同様な雰囲気がありました。
朝崎さん、生徒数の多さに驚かれた様子でした。
そして、選抜された5人が朝崎さんに民謡を披露、写真は小6の女の子、お囃子は爺さんが担当、いいもんです。喜界島の民謡「むちゃかな節」を披露しています。
稽古終了後懇親会の場所へと移動。
始まりに際し、会主が挨拶。
続いて会長が挨拶をしていましたが、感極まり声を詰まらせていました。
朝崎さんの今までの関わりから、東京奄美サンシン会の活動成果を師匠に見て貰ったことが感情を昂らさせたのでしょう。
会主も、「奄美民謡を多くの人に知って貰いたい」との思いから活動しています。
さぞ嬉しかったでしょう。
朝崎さんの挨拶、「あはがり」の唄う思いを語っていました。
「あはがり」
作詞:朝崎郁恵
曲 :沖縄民謡
浮世・・・仮島に何時(いてぃ)がでぃむ 居らりゅむぃ
情けあれいよ 仮那(かな)くぬ世ば うさむぃれぃがでぃ
節や水車めぐりあわそ
てぃきぬあはがりし たましゃうどぅてい
いきしゃん くとぅあてぃむ 天と大地や
てぃきぬあはがりし たましゃうどぅてい
(意訳)
この世は神様からいただいた仮の世
いつまで留まっていられましょうか
命を敬い 生きていきなさい
この世の生をなし終えるまで
時は巡る 水車のように だからまた巡り会える
月明かりの下で 人々は喜び 魂が踊り明かす
どのようなことがあろうとも 天と大地の間
月明かりの下で 人々は喜び 魂が踊り明かす
ネット記事より引用。
懇親中に会長に呼ばれ、直々に挨拶が出来ました。
呼ばれた理由に朝崎さん、喜界島とは縁があった事、祖母が喜界島城久の出身とご説明を受けました。
教本に「いきゃびき節」があるのもその理由からでしょう。
今では奄美諸島出身者にはその島唄を知る人はいないと言っても過言ではないくらいだそうです。
宴が進み、司会者、「どなたか唄を披露しませんか」との呼び声、それにつられて挙手、そしてステージに立ち「いきゃびき節」を唄いました。
この唄、両親の故郷喜界島の民謡と教えられて覚える気になった唄です。
高音域の音もあり、何度も練習していくうちの裏声が練れたものです。
朝崎さんが唄を披露することに、司会者「こんな機会はめったにない」との説明が、そうですね!
今や、全国に知れ渡った奄美民謡第一人者の唄が聞けるわけですから。
嘉徳なべ加那節、渡しゃ、くるだんど節、塩道長浜節、よいすら節などが唄われました!
このよいすら節、入会したての頃、若手の唄者が会に訪れて唄ってくれた時、何故か胸に染入るような情感を私は持ったのです。
とても好きな唄でしたので、じーっと聞き入っていると、会主の歌唱指導の通りに聴こえてきます。
この会の特長として、採譜された教本がある事、そして会主の歌唱指導が懇切丁寧な事、それを裏付ける結果となりました。
やはり朝崎節の唄い方と思えました。
母音部の抑揚など何度も注意を受けながら教わった部分を確認する事が出来ました。
朝崎郁恵さんとツーショット!
島唄をマスターするのに時間はかかります。
唄えるようになった唄はわずかですが。
亡くなった母に私の奄美民謡を聞かせると泣いて喜ぶのではと想像しています。
奄美民謡の特徴、「哀切」「哀調」など、心に訴える調べが今になって受け入れらる様になった気がします。
生徒の数の多さがそれを証明しています。
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