最近、関心が行ったラジオのニュースで、「京都の西陣織職人がツイッターで弟子を募集」について取り上げられていました。
日本の伝統的な技能・技術の伝承方法として最近まで行われていた人材育成方法。
徒弟制度:特殊職能の習得や自立・独立のための修業過程として重視される性格のものであり、修業中は師匠の家に住み込んで生活面の面倒をみて貰いながら無給、もしくはたばこ銭程度のお金が支給される。
それが、その制度の意義を知らない若い人たちが増え、ツイッターの求人内容を短絡的に誤解してインターネット上での批判を浴びる結果になったと言うのです!
その方のツイッターはこうでした。
佐々木(西陣織の職人)さんは2017年3月13日、ツイッターに次のような募集文を投稿した。
「西陣織を習いたい、将来的に仕事にしたい方を募集します。ただし最初の半年は給与的なものも出ませんし、その後の仕事を保証はできません。ただ、この西陣織の職人が減りゆくなか、将来的に技術を覚えておきたい方に無料で教授いたします」
私等の世代ですと、その制度の意義は理解しているので、「募集ツイートでは、「最初の半年間は給与が出ない」「その後の仕事も保証できない」などと記述があっても何等おかしいと思いませんが、若い人たち、それを評して「ブラック労働」にあたると言ってツイートが炎上したと報道されていました。
「その後の仕事も保証できないと」ありましたが、以前でしたら需要もありすぐに働き場は見つかったでしょうが、当世はあまりその仕事の需要がないためにそんな発言になったと思います。
当社に徒弟制度で「糊画師技能」を身に付けた経験者がいます。
才能もあったのでしょう、10年ほどかかる修業を2年で終わり、お礼年季奉公をしないで、すぐ独立して仕事も来たと言っています。
それは師匠の「のれん(※その師匠の技量、人柄から信用のあると言う意味)」があったためと言っていました。
昨今そんな仕組みが無くなり、雇用形態の変化ですっかりその制度を忘れられたのでしょう。
当社でも創業当時は、従業員ほとんど住み込みで働いていました。
この本らに紹介されている仕事は皆、徒弟制度で業を身に付けた人達で、職種を上げてみると、大工、指物師、鳶職、左官、畳屋、庭師、石屋などなどで、取り上げられていた職人はほとんど明治生まれです。
私の親は、尋常小学校高等科を出て昭和12年にオヤジの叔父にあたる塗装工場に就職したのですが、年季奉公明けの時、従業員揃っての記念撮影していたくらいですから、やっと1人前なったと言う目出度い出来事だったのでしょう。20歳と言っていましたからその間は生活を面倒みてもらい「パテの技能」を身に付ける間は薄給に甘んじていたのでしょうが、将来的には独立できるとの思いを持って働いたのだと思います。確かに、タンバを使ってヘラを作る技能は上手で、パテ剤も作ることも出来て十分な技能を身に付けていました。
ヘラの材料は確かヒノキ、漆を塗る時に使われるものと同じで、形状、塗りつける面の広さなどを考慮して、「大きさ」「腰のしなり」など削る具合で計っていました。
タンバ
徒弟制度の特徴として、師弟関係から業を習得する過程で、人としての教育も受け、育ちました。
世間で必要とする社会常識も身に付け、礼儀、仁義など仕事の決りを尊重し、しっかりと役割を果たす考えがありました。
そんな経験をした年配の従業員から見ると、今の若い者、挨拶ができない、仕事を覚えようとしないなど、役割をしっかりと果たす気持ちが薄いと言うのです。
もっといえば、会社は金がもらえる所ぐらいしか考えていないとも言うのです。
それも、時代の流れなのでしょうが、それだけでは済まされない、大切なものを見失っているような気がします。
仕事への執着心、なんとしてもいいものを作る、腕に自慢の面目にこだわり責任を果たすための創意工夫の心構えをなど「心意気」は忘れているのでは?
徒弟制度で仕込まれた職人の心意気を知る事例があります。
職人衆昔ばなしより。
大工中沢猶太郎さんの話、
「例えば天井まわりの縁をうっかり間違えて短く切っちまったとしますね。今の大工は『切り間違えましたから新しい材料をください』なんて平気な顔をして言うが、私らの若い時分はわざとそいつを掴んだまんま落っこちたもんです。『しまった折っちまった』それからでなきゃ捨てませんでした」わが身は大事だ。けれど仕事と職人のめんぼくはもっと大事なんです。・・・」
この本の出版が昭和41年。
それが戦後教育の風潮が続、義務は果たさず、権利は主張する人々が増えてきた。
社会を支える上で、利己的な考えは果たして通るだろうか?
政治面でみていると、政治家でもそんな人が育っている。
そんな彼らに仕事の役割はなんだろうかと自問自答できる資質があるものが居るのだろうか。
「失われた手仕事の思想」でも著者は言っているが「職業倫理観」はイコール、人としての倫理と同じでないか!
コメントを残す