4月3日、午前中雨が降っていたが、晴れてきたので行ってきました。
今年は初詣に行けなかったので、参拝もかねて。
日和もよく大勢の人が出かけていました。
九段下から九段坂を観る。
横断歩道を渡り、坂を行く。
北の丸公園のお濠に多くの桜と見物客。
田安門歩道橋、左手には武道館と続く門。
大鳥居ではこの混雑。
人ごみを避けて側道を行き、九段高校、白百合幼稚園前を過ぎて大村益次郎銅像へと抜けました。
人、人で参道は溢れるほど、そして参道脇の空き地には屋台がずらり。
雨のせいで地面が泥んこ状態ですが、思い思いに酒を呑みながら談笑していました。
開花状況を観る桜木です。
歩いていると目立ったのが外人、白人、アジア系とかの観光客です。
航空路発展のお蔭でしょう。
小学生の頃、毎日通学で通った境内、60年以上で大きく様変わりしました。
本殿前もこの混雑、英霊に対して崇敬の念を思い参っているのでしょう。
参拝を済ませ、休憩所でちょっと一杯、休憩所の前でハモニカ―演奏をしている方が、
演奏曲は、懐かしい軍歌でした。
私らの世代は身近に聞けた歌ですね。
同期の桜、日月火水木金金など吹いていました。
大灯篭の「肉弾三勇士」レリーフ前では、大正14年生まれの方から声を掛けられ、説明を受けたのですが、母がよく唄っていましたと答え、「江下、北川、作江」と名を上げて「ほー」と感嘆されました。
このレリーフ、小4の時から見ており行けばいつも見ています。
何年か前にも見かけた軍服姿の人も。
靖国神社へ行って、戦後の歴史観を見直すことも有意義ではないかと!
帰りは足を延ばして、小学生の頃過ごした街並みを散策、面影はなくすっかり様変わり。
歩道脇に昔なかった碑が立っていました。
住んでいた場所に新撰組の屯所があったなんてはじめて知りました。
そして飯田橋の由来も!
住んでいた頃は、出来て20数年たっていたのか、これだけは中央線の鉄橋と同じで今も変わっていません。
唯一、あの時の同じです。
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