国民性、民族性など、マスメディアが報じる特徴として、5年前の東日本大震災で観られるように、協調性、相互扶助の心が報じられました。
特に海外のメディアでは暴動が起きず、みんなが並んで援助物資を受ける様子を驚嘆していましたね。
日本としては、過去の歴史で何度も自然大災害を経験して培われた精神と思うのです。
まして、農耕民族、地域に土着し代々、近所付き合いを大切にしていたからでしょう。!
ある時、それは先輩の主催するミャンマー友好の会合でした、当時剣道連盟副会長をされている方と懇談した時に聞かされた言葉が耳に残りました。
「今時の若い人と話しても、どこかの国の合いの子のようで日本人らしい精神性を感じない!」と。
その方大正前期の生まれ、代々剣道道場を持つ生まれの方でした。
そんな家系での育ちですから根底に有る精神性は「武士道」でしょう。
戦後の教育ですっかり廃れた言葉であるし、封建的な精神として忌避されてしまいました。
しかし、最近になってサムライ、大和撫子という言葉が使われるようになり見直されているようですが、その本質と意義を理解する日本人は少数な気がします。
私の場合、18歳で合気道に出会うことで、それなりに日本人の精神性はと考える機会を持てたことが、日本人の精神文化の根底には神道にあると認識するようになりました。
見聞する中、インドネシアには日本精神という言葉が残り、今でも独立記念日では「愛国行進曲」が歌われるほど日本から学んだ精神を大切にしています。
翻って、日本精神といえば「武士道」といわれるほど海外には知れ渡っていますが、当の日本人が忘れてしまった心です。
それは、何年か前、小学校の先生にお電話した時に質問したことで成程と納得した事柄がありました。
それは、「道徳教育、修身」が何故廃止されたのですかと聞いた時です。
先生はこう答えてくれました。
マッカーサーが「大和魂を貶めるため」と。
自分の中では、その説明で歴史的側面と、大和魂との持つ印象から納得できる言葉でした。
仕事などで会話する機会がありますが、年下となる20代から50代になる人に質問する言葉、「日本人として自覚する事は何か」と問う事がありますが、唐突すぎて戸惑うのか、自覚がないのか返答ができないのです。
報道では日本民族と特徴として、認識されることは当たり前すぎて個々に感じていないのですが、個別に聞くと明確に日本人としての自覚がないのです。
私にとって、此の事は戦後教育の「負」の部分と強く感じていることなのです。
国家として存続するうえで、国に所属する国民がそれでいいのかと憂いている点です。
先生が言われた「大和魂を貶める」は日本と戦ったマッカーサーが当時一番痛切に思ったことなのでしょう。
強い日本は邪魔と思ったのでしょう。
白人が国際社会で優位に立つには困ることだったのではないかと!
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