ネットニュースが下記の報道をしていた。
関心を呼んだのは、「伊402潜水艦」との記述からでした.
子供の頃から、帝国日本、軍艦、戦闘機などに関心を持っていたので、この年になってもその関心は冷めません。
戦艦武蔵、戦艦大和などの本を読んでいましたし、一時期はゼロ戦の後継機、局地戦闘機「紫電改」などの本5、6冊買って読んでいました。戦況が悪化するなかでも優れた戦闘機、潜水艦を造れた日本の技術には驚きます。
「・・・海上保安庁は7日、長崎県五島列島沖の海底で、24隻の沈没船の船影を発見したと発表した。第2次世界大戦後に米軍が沈没処理した旧日本海軍の潜水艦とみられるという。
海底の地形調査に向かっていた測量船「海洋」が7月、福江島の東南東約35キロの深さ約200メートルの海底で見つけた。付近に潜水艦が沈んでいると文献にあり、音波で海底を計測する音響測深機で探査したところ、東西約4キロ、南北約2キロの範囲に24隻の船影を確認したという。最大のものは、長さ約120メートル、幅約15メートル、海底からの高さ約10メートル。大きさや過去の文献から、1945年7月に完成した「伊402潜水艦」とみられるという。」ネット記事より。
少なからずも、日本帝国海軍が建造していた大型潜水艦という記憶があり、戦闘機3機を搭載できる、画期的な設計という。
この潜水艦終戦1ヶ月前に作られている。佐世保海軍工廠で建造されていた。調べると伊401、402が造られていた。この潜水艦実戦に投入されることなく、終戦を迎え沈没処理された伊402、必死の思いで建造に従事した作業員どんな思いでこの出来事を受け止めただろうか?
それにしても、大東亜戦争末期、戦況が悪化している中、懸命になって造っていたことは想像できます。
記憶では、搭載した晴嵐3機をもってパナマ運河を空爆をする戦略のために建造された。またすぐに発艦できるようにとエンジンのオイルを循環させ温める装置を発明することでそれが可能になったという。
別のネット記事では次のように紹介されていた。
「『伊400』型は、1960年代に核ミサイル搭載可能な潜水艦が開発されるまで、世界最大の潜水艦だった。防水を施した格納庫に専用設計の『晴嵐』水上攻撃機3機を搭載し、“潜水空母”の異名を持つ。浮上して同機を射出し、敵に発見される前に潜水するという運用計画のもと、日本海軍の秘密兵器として開発された。ガーディアン紙は、こうした背景を持つ『伊400』を、「海底怪獣」と表現している。『伊400』『伊401』は、1944年に進水。アメリカ本土やパナマ運河への攻撃が計画されていたが、既に戦局は悪化しており、目立った戦果を挙げることなく終戦直後に米軍に拿捕された。共にその後、米軍により魚雷で破壊され、オアフ島沖の海域に沈んだ。ガーディアン紙は撃沈の理由を「米軍が旧ソ連に技術が流出する事を恐れたため」としている。」ネット記事より。
アメリカの原子力潜水艦ポラリス型は、ミサイルを海中から発射できる技術は「晴嵐の格納庫」が参考になっている記憶しています。
「米軍が旧ソ連に技術が流出する事を恐れたため」との記述はありますが、その通りでしょう。
全てに優れた工業技術が活用されたわけではありませんが、戦後、日本が復興でできたのは、その時代に育まれた工業技術があったからこそ可能だったと思います。
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