ネットのニュースで訃報を知りました。
柳沢真一(ジャズ歌手、ほか声優、映画と活躍した)と結婚し、すぐ離婚した女優としてずっと記憶にありました。
新東宝という映画会社からデビューした女優で、その後東宝に移り、駅前シリーズなどに多く出演されています。
最近、テレビで見た映画「駅前医院」が、映像で見る最後となりました。フランキー堺(やくざ者)の恋人役でした。
時代と共に、顔も変わってくるのでしょうか、今ではもう見られなくなった日本人らしい美人です。
私より一回り年が上、デビューの年が1955年、私が9歳ということは21歳の時だったのでしょう。
映画が衰退してくると、テレビ出演が多くなりおかみさん役がぴったりの女優になりました。
谷啓もそうでしたが、子供の頃、また学生時代に知った芸能人が、この世から去っていきます。
同時代の女優として、ほかに思い出せる名は、東映の長谷川裕見子、千原しのぶ、大川恵子、花園ひろみ、田代百合子、高千穂ひづるなど、東宝は原節子、新珠美千代、淡島千景、草笛光子、久慈あさみ、星百合子、淡路恵子、団令子、若林映子、酒井和歌子、松竹では岸 恵子、岩下志麻、倍賞千恵子、日活は吉永小百合、松原千恵子、浅丘ルリ子、大映では京マチ子、山本富士子、若尾文子、叶順子、新東宝では三原葉子、三ツ矢歌子、万里昌代、高倉みゆき、大空真弓、前田通子などがすぐに頭に浮かびます。
テレビでも池内順子の訃報を伝え、その死を悼んでいました。
彼女の美貌、そして凛とした性格、東京生まれ、江戸っ子らしい東京弁、耳に心地よい響きなどの特徴を挙げていました。
時代の流れの中で、昼ドラではよろめき女優といわれ、中年になると割烹着の似合う日本のお母さんのイメージ、味噌汁のコマーシャルに出演して定着しました。
舞台では「三婆」をライフワークとして取組んでいたとの事。
晩年は年齢に応じて、ばあさん役、痴呆老婆などを見事に演じ切り、女優としての名声を得て紫綬褒章を以て評価されていたようです。
私自身、熱烈なファンという訳ではありませんでしたが、その美しさには惹かれるものがありました。
ちなみに、子供の頃好きだった女優は東映の千原しのぶです。
この方も今年亡くなられています。
最近の芸能人女性ですが化粧の仕方、髪の色、顔立ちが昔と比べ様変わりして日本女性らしさを感じません。時代の流れと言うべきものなのですかねー。
映画全盛期に、デビューされた多くの女優さんには日本女性としての魅力、美しさに子供ながらに「いい女」として映りました。
新東宝時代、一緒だった女優大空真弓のコメントに、「死が早すぎますが、あの美しさを保ったままで死にたかったのでしょう。そう考えれば彼女の死を受け入れられると」。
番組の司会者も言っていましたが、私らの世代活躍した芸能人が次々と亡くなられることに、寂しさを感じますと。
同じ心境だなーと思いました。
「昭和は遠くなりにけり」ですかねー。
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