NHKに視聴者から12000程の抗議があり、中継を反対しているとの理由から中止となりました。
日本の人口が1億以上あり、比率から言ってその数字が示す事が「真」なのかわかりませんが、抗議があったから止めるようです。
私から言えば、最近は相撲としての醍醐味が薄れ、中継がなくても左程落胆はしませんが、
テレビ報道によれば、お年寄りにファンが多く、その方々が残念がっている様子を伝えていました。
テレビ報道で、大相撲が100年に1度の危機を迎えている。改革へ向け真剣に取り組むようにと要請が、NHK会長より発せられていた。
相撲協会の理事は改革に向け、どんな取組をするのか興味を持って注目したいと思います。
しかし、昔に比べ相撲自体が大味になり、手に汗握る取組が減っています。
はたきこみ、押出し、寄りきりなど決まり手の数も限られています。
特に感じるのが「水入り」の取組が全くなくなりました。
昭和30年代初め、水入り相撲で印象に残っているのが、栃錦です。対戦相手は覚えていませんが、大銀杏を結っている紐がきれ髷がとれてしまうほどの熱戦です。
小兵の栃錦、長身の大関大内山を首投げで倒すなど、大相撲の醍醐味が取り組み随所に
出ていました。初代若乃花の呼び戻し(仏壇返し)、栃錦の二枚蹴り、琴ヶ浜の内掛け、
北葉山の打っ棄り、明歩谷の吊りだし、鶴ケ嶺のもろ差し、柏戸の寄り、電車道と呼び
一気に寄り倒す出足、弾丸房錦のぶちかまし、潜航艇岩風、対戦相手の股倉に頭がつく程低く入る、などなど特徴のある力士が大勢いました。
なぜ、個性ある力士が出なくなったのか、このあたりにこれからの大相撲、今後のあり方のヒントがあるのではないでしょうか。
大味な相撲になってしまったのは、あまりにも力士が大型化してしまった事ではないかと考えます。
私が小さい頃、巨漢力士といえば「大起(おおだち)」、体重40貫以上は有ったのではないでしょうか。
記憶では体重があって膝を痛め、強い力士という印象はありませんでした。
それに怪我をして休場する力士が目立ちます。大型化が影響しているように思えます。
相撲の基本、「押し」、これが体重を増やす理由になり、太らせる一因でしょうが、大きくなりすぎ、体重も200キロを超えるほどになりました。
これが逆に相撲の醍醐味をなくしている原因と思います。
相撲協会は、見直す必要があるのでは。
昔の解説者、玉の海、神風さんなどが今の相撲を見てどのように解説するか知りたくなります。
記憶では、叩かれて簡単に落ちれば稽古不足と指摘するのでは。
以前、横綱曙が格下の力士に上手投げを食らい、裏返しにされて倒れこみました。
私、これを見て昔の解説者だったら、引退間じかと解説するのではと思ったくらいです。
決まり手で、叩き込み、突き落としなどが多くなっている点も気がかりです。
稽古の質が落ちているのだと思います。相撲には安定した足腰が要求され、如何にバランスよく動けるかが望まれるのです。
ただ、ブクブク太っているだけではダメなのです。
手に汗握る相撲を見せるには、稽古の質、稽古の量ともに上げて身体を鍛え上げることが先ずは必要と思います。
ここの点が、今は一番難しいことではないでしょうか。
日本人自体の変質・変化があるからです。
強くなるために厳しい稽古を強いるとシゴキ、イジメとマスコミがたたきます。
一例を上げれば、シゴキ事件の影響でしょうか竹刀で叩くことすら控えるようになってしまいました。
ただ言えることは、魅せる相撲に欠かせないのは鍛錬、稽古なのです。
この点をどう取り組むかは親方衆にかかっています。
土俵の鬼と呼ばれた初代若乃花は、お金を稼ぐ一心で強くなろうとして稽古に励み、
ファンに喜ばれる力士となりました。
初代若乃花、お相撲さんは裸を見せる商売だから、肌に良い日本酒を飲むべきと注意していた事思い出します。
当時、北の湖が活躍しだした頃、飲む酒がウィスキーだったことを受けての発言だったと記憶してます。膝、肘などにサポーターやテーピングすることも否定していたと思います。
美を意識しての事です。
そういう意味では本当のプロといわれる力士です。
先輩達がやってきた稽古をもう一度見直すことです。
バレーボールで「鬼の大松」と呼ばれた監督の練習風景を見せるのもよいのでは。
東京オリンピック金メダル、「東洋の魔女」と呼ばれるまでに至ったバレーチームを造り上げた練習風景を記録した映画を見ていますがそれは凄まじいものでした。
アマチュアの世界でこれだけの練習、今の相撲取りに見せるべきです。
相撲中継されなくても、相撲の醍醐味が復活できれば、相撲ファンは国技館へ見に行きます。
そのためにも本当の意味での猛稽古は不可欠です。
相撲協会の幹部、理事さん達、真剣に稽古方法について現状でいいのか見直してください。
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