フランスの大和撫子

ある朝、朝刊を読んでいると大見出しに「戦時日本の教えがすべて、怠けることは敵。」との記述が目に止まりました。
日本語で半生記、フランスの母さん ルイズ・ルピカールさんと記事は紹介し、
「戦時の教えがすべて」との記述にとても関心が行き、読む気になりました。
彼女が本を出版した経緯を書いており、フランス人を父親に、日本人の母親を持つフランス人女性が1937年から48年まで(9歳から20歳)日本で過ごした期間の経験を綴った本と分かりました。
記事を読み終えて、記事の主旨は自らの人生で幾多の困難を乗り越えられたのは、「修身の教えだった」と言う事です。
軍国日本と言われた時代に、多感な少女時代から成人するまでの時期、学校教育で修身を学んだのです。
日本名を正子といい、外国人と言う事で収容所にも入ったそうです。
「自分は軍国少女と信じて疑わず、敵が上陸したら手榴弾で自決しようと友人と誓い合っていました。」と記事に書いてありました。
純粋な思いが伝わります。

 

修身といっても、もう分からない人がほとんどだと思いますので説明をします。
「修身とは」というブログでも書いていますが、簡単に内容を紹介します。
明治37年から敗戦の年まで、授業として行われ、人として守るべき徳を教えていました。
週のはじめ月曜の1時限にあてていたそうです。
授業内容は下記の通りです。注※1
1 素直な心を持つ。(正直・誠実・良心)
2 自分を慎む。(謙遜・質素・倹約・寛容・報恩・整理整頓・健康)
3 礼儀を正しくする。
4 自分の行いを律する。(自己規律)
5 夢を持つ。(志を立てる・進取の精神)
6 一生懸命働く。(勉強・学問・仕事・勤勉・努力)
7 つらさを乗り越える。(忍耐・辛抱・克己)
8 困難に立ち向かう。(勇気)
9 やるべき事を成し遂げる。(責任)
10合理的精神を持つ。
11ルールを守る。
12家族を尊ぶ。(夫婦・親子・兄弟・祖先)
13友達を大切にする。(友情)
14思いやりの心を持つ。(同情・博愛)
15力合わせて。(協力)
16みんなのために。(公益)
17日本人として。
18美しく生きる。(まとめ)

それぞれの徳目に事例を挙げ見習うようにと教えていました。
一例、
「夢を持つ」では、野口英世が医者になるまでの話の経緯を書き、志を立てる大切さを説いている。
「力合わせて」では、「協同」という言葉をあて、毛利元就の「三本の矢」があります。
今で言う、事例研究、ケーススタディという教え方とも言えるでしょう。
分かりやすく行動規範を教えられる内容です。

 

彼女、戦後サイゴンに戻って、結婚しコルシカ島に行き、そこでの結婚生活から苦労、困難と向き合いながらの人生だったと書いてありました。
離婚、再婚、夫の暴力、そして離婚、そんな事も修身の教えが支えてくれたと書かれています。
記事から引用し記述します。
「・・・しかし夫の家庭内暴力もあって離婚しました。6人の子供を抱えていましたが、私は働くのが好きで、子供にも『人生は泥棒と売春以外、何でもできるのよ』と話してきました。」と記事にあります。
なんて逞しい女性なのかと!
確かに大和撫子にふさわしい方です。
記事はインタビュー形式で書かれ、記者の質問に答える形で進みます。
―――幾多の大変な時を乗り越えられたのはなぜですかとの問いに、
「戦争中、日本で学んだことが私のすべての基礎になっています。・・・・人事を尽くして天命を待つ、という言葉が私の中にあります。また苦しい時、助けてくれたのは修身です。」

 

コルシカ島に住んでいた時代、日本製のオートバイを見て詠んだ短歌、「ハンドルに大和の国を示す旗、よくここまでと強く握らん」
日本を思う心が表れています。
次の記事、一日本人として情けなく感じる事柄です。
「以前、知覧特攻平和会館を訪れた時、高校生がチューインガムをかみながら説明を聞いているのを見てショックを受けました。その時、『車座のガム食む少年らは若鷲の勇士と同じ二十歳(はたち)のうなじ』・・・」
外国の方は、どなたでも国に命を捧げ戦った人等に敬意を払う心を持ち合わせています。
当の日本人が、このザマではと!
恥ずかしさ、悲しさを感じる場面です。
彼女更に、続けて日本の大学教授が授業で「真珠湾はどこにある」と聞いたら「三重県」と、笑い話のような答えが返ってきたと聞きましたと語っていました。
日本の学校は日本の歴史のいい面、悪い面きちんと教えるべきですと明言しています。
現代史では悪い面ばっかりを教えているので、その証左として少年が「若鷲の勇士」に対し敬意を表さないことにも繋がるのでしょう。
今はお孫さんが15人。ひ孫が5人。振返って幸せとは何だと思われますかの問いに、
足るを知る、ということです。つまりガツガツしない。母が良く「人間にとっての敵は怠けることとお金だよ」と言っていたそうです。
彼女のお母さん、勤労を尊び、我欲を戒める言葉から察して、明治生まれの方でしょう。
戦後生まれの私にとって、「修身」という授業があったとは母から良く聞かされていました。
私の記憶では、「修身」は軍国主義を扇動する記述があるのでいけない、「記紀」古事記 日本書紀を教えなくなったのは、歴史的根拠がない史実は教えてはいけない。占領政策のせいでと聞かされていました。

 

なぜ戦後、修身を教えなくなったか、次に紹介する文章に表れています。
女流柔道家、三宅綱子女史の伝記に書かれていたことです。注※2
「ミス三宅。私たち駐留軍は日本をコントロールする使命を持っているのです。それは『三つのS』で十年後二十年後日本を骨抜きにするという使命です。」・・・・・中略・・・
そっと耳打ちするように三宅に三つのSを教えてくれたのは、当時「ワッツ」と言う名で呼ばれていた連合軍女性部隊の隊長だった。
「その人はドイツ系アメリカ人でした。当時私は彼女の柔道を個人指導していたんです。
・・・・・・中略・・・スクール、スクリーン、セックス。・・・特に連合軍アメリカは、その三つを巧妙に使って戦後の日本をコントロールしようとしていることでした。・・・」
この記述を読んで、子供の頃、ある大人からマッカーサー(占領軍総司令官)は「日本人の勇気と団結心を恐れたから、日本を弱くしようと占領政策をした」と聞いていた事と同じと思ったのです。
最近読んだ本にもこれに相当する記述を目にしました。
「・・・・・三教科停止命令が出されたためである。三教科とは『歴史』、『地理』、『道徳』だが、これらを教えないようにすることで、日本人の愛国心をそぎ取ると言うことがマッカーサーの意図であった。・・・・」注※3
その結果が今の日本に明らかに現れています。
植民地支配の原則を使っての占領政策、歴史を見れば支配する側の常套手段です。

※ 奄美諸島も昔、薩摩藩に同様な植民地支配を受けました。

ブログ「奄美民謡について」参照
彼女、生きていく上で大切なものは何か、彼女の母親、修身から「心」を学んだのでしょう。

参考文献 ※2「日本人」はどこにいる――異文化に生きる武士道のこころ――
著者 神山典士 出版 株式会社メディアファクトリー
※3「資本主義はなぜ自壊したのか」 著者 中谷巌 出版 集英社
※1「精選 尋常小学修身書」 監修 八木秀次 出版 小学館文庫

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