意思疎通、情報伝達の意義(副題 上司の責務)

この標題について、触れたくなった理由は駅構内の本屋で購入した「こんな上司が部下を追いつめる」を読んだからでした。
著者は、産業医の肩書きを持ち、職場で仕事から来るストレスで精神的ダメージを受けた人たちを診察し、精神的な病を治す仕事をしている方です。
産業医なる仕事があることなど知りませんでした。
会社に勤務する人たちがストレスで過労死、鬱病なる現状を知り自分の経験の中では身近にないものなので驚きました。
事例1
若者の過労死 突然死 中古車情報誌の編集を任され・・・、入社51日目で。
事例2 
心筋梗塞を起こした室長 技術員から主任技術員を経て開発室長に抜擢され・・・。
事例3 
急性肺炎死した調理師 起抜けから頭の芯が痛み、・・・・・・そんなことをすれば上司や同僚に迷惑をかけることになるし食堂業者契約が打ち切られてしまう・・・。
事例4 崩れた新人女性社員 6月に入社した彼女が当初引き継いだ業務はデリバリーだけだった、それが8月下旬辺りから少しづつ変化してきた。クレーム対応という要素が入ってきたのである。・・・
会社の上司の命令を達成しようと仕事に取り組んでいる中、その命令、指示に愚直なまで従順に取り組む社員がいるのかと思うくらいです。
私の経験から、何でそこまで追い込まれるのか理解できないのです。
私だったら上司に現状を訴え、改善に向け相談する行動をとると思うのですが。
35年近く前私が勤務していた会社はそんな大きくありませんが、社風としては和気藹々で上司にも、反論できる雰囲気はありました。
今時の会社、上司の命令は部下が反論出来ないほど絶対的なものになっているのでしょうか。
そこにある問題に気付いたのです。
意思の疎通、情報伝達をコミュニケーションと言い換えてみると、若い人たちにある程度共通する事柄に思い当たりました。
それは、ブログ「ISOについて一言」に寄せられた感想文で見つけました。
書いた方は30代前半、あるメーカーの営業マンで製品を購入した関係で知り合いました、彼にブログを読んだ感想を知りたいと言って書いてもらいました。感想文をブログで紹介したいと以前から彼に承諾を得ていたのでその一部を紹介します。
『私が特に印象に残ったのが「いくら管理体制を整備しても、モノつくりの基本はやはりヒトだと感じた事例でした・・・」中略・・・一言で言えば、「コミュニケーション能力不足」かもしれません。「何事にも最後はヒト」ということを感じていなかったということだと思います。世の中の傾向として、相手(お客様に限らず、関わりのある人全員ですが)が何を望んでいるのか、何を聞きたいのか、どういう回答を期待しているのか、最近、そういうことを察知する「感度」が鈍くなってきているように思います(私を含めてですが)。これは私見ですが、現代の通信機器の発達も起因していると思います。携帯、メールによりコミュニケーションの数が飛躍的に増えたと思いますが、顔を合わさないコミュニケーションなので、相手がどんな表情をしているのかとか感情の微妙な変化がわからないと思います。また、携帯メールは一方的な発信の最たるものであって、相手の反応は通信文章ですし、しかも返信までタイムラグがありますから相手の本音を感じ取ることが出来ません。そういう状況では、やはり相手の気持ち、感情をすぐに察知して対処する能力が伸びないのではないかと思います。・・・・・』 
太字で書かれている記述になるほどと感じ入ったのです。
「こんな上司が部下を追いつめる」の本で紹介されている事例に、仕事に行き詰まり打開でいない状況が続き精神面で苦境に追いやられる話が書かれていました。上司は上司で部下の様子から行き詰っている状況が察知できず、また部下は部下で状況を打開しようとせず、命令のまま仕事しているのです。
この事例から見えてくることは、第一に上司が良くないが、部下もそれに対し、自分の現状を分析し整理して、改善を要求し上司と相談する作業をすればよいと思うのですが、それが出来ないのでしょう。
上司は上司で職制上、命令指示を出すだけで部下のフォローを全く行っていない。単純に言えば、上司として資質がないまま上司になったのでしょう。こんな上司とめぐり合うことが部下にとって不運な出来事です。
しかし、部下として言うべきことは言うべきと思う位の精神的強さもあって欲しいものです。
こんな状況を作り出してしまう所に、双方のコミュニケーション能力不足が現われるのでしょうか。言うべきことは言うべきと「言葉として」発せられない若者が増えている点も起因しているのでは。
自分の考え、思いを相手に伝える能力を身に付けさせる訓練も必要になってきた時代なのでしょう。
著者は、本の第一部「職場では、今何が起きている」の中で、精神的ダメージをうける原因として次のように記述しています。
「・・・心の病が増加している原因については、社会の構造改革、IT化、派遣社員と正社員の責務差、残業や休日出勤による業務・労働時間の増大、将来への不安、年功序列から成果主義への移行、中間管理職の低年齢化など、様々な項目が挙げられている。しかし、確たることはわからない。
ただ、実施したアンケートから見えてきたことは、上司らとの人間関係に悩み、コミュニケーションが取れないまま疲れ果てている人たちの姿である。コミュニケーションのあり方を具体的にひとつ手直しすれば、「過労」や精神的圧迫から身を守る手立てが見えてくるかもしれない。
部下も血の通った人間なのに、歯車のように扱ってよいのか? 上司の都合でコミュニケーションを放棄してよいのか? 好き嫌いという感情で、部下達の心を揺さぶってよいのか? 個人の嗜好で仲間をつぶしてしまう集団が果たして健全といえるか? あそこでもここでも人間関係のトラブルで体に変調をきたす人が続出しているという実態をあなたがたは知っているのか?」
この記述、上司という立場にいる人たちに呼びかけている形で書かれています。
この本が言うように、そんなに上司に追いつめられている部下が多いとしたら、
それだけではないような気がします。
社会的背景にリーダーシップ能力を身に付ける、もしくはそれを意識する場がなくなっている様に思います。
自分の子供の頃の事例をあげてみます。
当時町中で遊ぶにしても、地域的に国鉄中央線のガードを境にして縄張り意識があって向こう側で遊んでいると悪がきにいじめられることがありました。
しかし、それを知るとこちら側のガキ大将が仕返しに出向き決着をつけて事を治めていました。
会社組織で言えば部下にあたる、年下の子供を守る行為に出るのです。そんな行為を見て子供心に「やってくれるなー」と感心したものです。
子供心にガキ大将は部下を「守ること」と理解しているのです。
子供心のそんな心根を持っていれば、大人になっても同じ行為をすると思うのですが。
鹿児島県では、薩摩時代「郷中教育」でリーダーシップを学ばせていました。
ある年齢に達した青少年をグループにまとめ、その活動を通して学ばせるのです。年上の少年は、活動を通し年下の少年の面倒をみて年下の少年は大きくなったら「そうすること」と理解したでしょう。
そういった機会が減っているのも、ダメ上司を作る原因なのではないかと思います
「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだぁ~」と植木等が歌っていた時代と大きく様変わりしていることを実感します。
著者はこんな現状を改善するために、次のように提言しています。
「職場環境に目を配ったり、部下の「やる気」を引き出したりすることが出来るのは、上司である。今の時代に求められる上司像を総括してみよう。
上司には、チームをまとめること(マネジメント)、教えること(ティーチング)、必要に応じて助言すること(コンサルティング)、そして個人の能力を引き出すこと(コーチング)の4要素が求められる。・・・・」
この記述、大学時代、合気道部の活動を通して自分自身ある程度経験したような気がします。
意思の疎通、情報伝達を上手に行うための標語に「ほうれんそう、報告、連絡、相談」がありますが、組織(会社、軍隊、など)には大切なことは今も昔も変わりません。コミュニケーションが上手く機能しないことは大きな損失です。
会社を経営、運営する側は常に気を配る項目なのでしょう。
記憶違いはないと思いますが、最近テレビで、IT関連会社がコミュニケーションを良くするために、社員食堂を活用し無料で昼食を提供し社員が一堂に集る工夫をしていると紹介していたし、またある中小企業では飲みニケーションを使い社員同士の意思疎通を計っているとも紹介していました。
このブログを書くにあたり、28年前に読んでいた本を思い出しコミュニケーションについて書かれている記述に目を通してある感じをいだきました。
記述はこうです。
「・・・・人間(じんかん)回路はとしてのコミュニケーション・・・日本人のコミュニケーションの基本原理は、「察し」と「思いやり」である。この原理が薄れたとはいっても、まだまだ根強く残存している。これは道具としてのコトバよりも、人と人との間にコトバ以前の回路ができていて、その回路をコトバでないコトバか通っていくという感じである。これを「人間(じんかん)回路と呼んでおこう。この回路は信頼関係によって保たれているが、信頼関係自体はお互いの共通の行動原則である相互依存的つきあいによって保たれている。
互いに相手の期待に沿うように行動するには、常時、相手と接して気心を知っていなければならないのである・・・・」
これを読んで、どんな組織にも先ずはコミュニケーションのベースになる「仲間意識」が大切と思いました。
「察し」「思いやり」などが円滑なコミュニケーションに大切な事と書いてあるのですが、書かれた頃が昭和56年です。それから28年の時を経ていますが、いまの若者に理解できるかどうか、ニュースで「子が親を殺す」事件を報道しますがあまりにも多くて最近は驚かなくなりました。逆もありますが。
親にも問題があるのでしょうが、相手を思いやる気持ちの無さが原因なのでしょう。ですから、「察し」「思いやり」の意味を言っても通用しないのではと危惧します。
我儘になる傾向が見られる以上、年寄り達は若者に迎合せず叱り付ける強い気持ちを持って接しなければならない時代になっていると思います。
参考資料 「こんな上司が部下を追いつめる」 著者 荒井千暁 出版社 文藝春秋 「問題解決に強くなる本」 著者 清水勤 出版社 産業能率大学出版部
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