最近読んだ「漢字と日本語」(著 高島俊夫)から、漢字廃止論が出てきた切っ掛けを知りました。
私が知る範囲では、戦後の占領政策から議論されたもの、それで当用漢字が出来たと思っていました。
漢字はやめて「かな文字」か「ローマ字」、仏蘭西語にと主張した知識人もいたとか。
がしかし、本の記述に次のように書かれていたのです。
「えーそんな昔からと」驚きです。
その記述を引用します。
「・・・日本人は、19世紀半ばのペリー来航以後、西洋人の強さ、優秀さを思い知らされ、西洋のあとを追い始めた。同時に日本の知識人は、なぜ西洋はかくも優秀でわれわれはかくも劣っているのか、と必死に考え、その根本は物を考え作り出す能力のもとである言語・文字にある、と思い至った。われわれは何千もある漢字の習得に生涯の精力の大半を蕩尽してしまう。西洋の文字は簡単なものが僅かに20いくつだ。精力の大部分を科学や技術に向けることができる。日本も純粋に音のみを表わす音標文字を採用しなければならない。慶応2年前島密が徳川将軍に建白した「漢字御廃止乃儀」に始まって、明治以後多くの有力知識人が強く漢字廃止を唱え、やがて政府も漢字廃止・音標文字採用の方針を定めた。・・・」
この記述を読んで「えーそんな昔からと」と驚嘆したわけです。
戦後、占領政策の指示で漢字は「当用漢字」が昭和21年に制定されて文字数1850になった訳ですが、
そんな経緯が影響していたのかと知りました。
子供の頃から漢字には関心がありこのような本を読む気になるのですが、「同時に日本の知識人は、なぜ西洋はかくも優秀でわれわれはかくも劣っているのか、」の記述を読んで、「字数を減らし、且つ画数も減らして簡素化した字体」にしたのかと推察しました。
明治維新以降、日本は西洋に追いつけと、西洋の科学技術、知識を学びとり、その不足を補いましたが、学びとれる能力はあったのです。
今や、日本の科学技術、産業技術は決して劣っているわけでもなく、凌駕している面も多々あります。
戦前も軍需産業技術に於いても、西洋に負けないだけの科学技術を持ち得ました。
江戸時代においても、決して自然科学方面でも引けはとっていません。
ですから、漢字を学ぶこと自体が問題でなく、遅れを取ったのは当時の時代背景に影響されていたのかもしれません。
「・・・ただし、音標文字としてかなを用いるかローマ字にするかの争いが激しく、かな派のなかでもカタカナ派とひらがな派が喧嘩し、ローマ字派でも日本派(例えばチはti)とヘボン派(チはchi)が争うなど、漢字はそっちのけになってしまった。政府もどっちとも判断せずただ音標文字にするのみときめた。・・・」
戦後はそんな影響がありローマ字を教科に取り込んだのでしょうか?
余談ですが、この記述から、私が覚えたローマ字は日本派でした。
「つねあき」は「tuneaki」書いていました。
ある時、娘が「つ」を「tu」と書いたのを間違いと言い、ただしくは「tsu」と主張と。
それはヘボン派となりますね。
もし、漢字が廃止されていたら、歴史の記録が読めなくなり、伝承は途絶え文化の継承も行われず、逆に他の分野などが衰退したかもしれません。
漢字には音標文字にはない特長もあり、音標文字が字数が少ないと言う理由で漢字を廃止しなくてよかったと思います。
当用漢字が常用漢字となり字数も増えています。
字数を減らしたことで、語彙が少ない日本人が育っています。
高校生の時、先生に言われたこと今でも思い出します。
「今の学生は漢字を知らない」と言われたこと。
明治生まれの人達は、四書五経を学び多くの漢字を学ぶ機会があり、そんな判断をしたのだと思います。
あの頃、その先生は70を過ぎていましたから!?
字数制限は止めた方がいいかもしれません。
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