平和憲法って!?–5・3を思う–

私たちの世代、いい憲法と学校で教わりましたが大人になるにつれ”何か変”と考えるようになっていました。憲法の条文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるようです。
がしかし、普通に考えてもそんなことで国の安全、存続が守れるのかと誰でもが感じるのではないでしょうか。一般社会でも、自身の安全等、個人レベルで考えても身の危険があり身を守る術、手段を用いて行動しています。
それが国際社会では危険なことが起こらないことを前提にした今の憲法に”空想の世界”の出来事と思わずにはいられません。

そんな時この本と出会いました。

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“復刊にあたって”・”序”のページを読んで”頷く事”ばかり。

子供の頃耳にした「マッカーサーは日本人の勇気と団結力に驚異・脅威を感じ弱くしようと占領政策を行った」。

4、5年ほど前小学校の先生から聞いた言葉、「マッカーサーは大和魂を壊そうとした」など弱体な国にしようと行ったことなどが具体的に書かれていました。

ですから”頷く事”ばかりなのです。

この本が書かれたのは、昭和36年です。その後昭和44年、平成14年と出版されました。私が購入したのは平成14年のもの。

引用します。「・・・わが第14軍司令官本間雅晴中将の攻撃によりフィリピンに部下を残したまま、オーストラリアに逃げのびた。そして、この不名誉を挽回すべく、対日攻略に異常な怨恨をもって日本に乗り込んできた。彼の天性の驕慢が更に孤独を呼び、日本憎悪に拍車をかけたようだ。特に強烈なインパクトを日本国民に与えたものは、東京裁判による無法極まる日本の重鎮7名の処刑であった。・・・」。

テレビなどで東京裁判の記録映画を何度も目にしましたが、当時の知識人はこんな思いを抱いていたのですね。

授業ではそんな歴史を教えず、自虐的な内容だったような記憶があります。

“異常な怨恨”とありますが日本憎し、ましてあの時代、有色人種等を人間と思っていない白人至上主義者です。ですから”弱体化”を構想して占領政策を実行したのです。

私の記憶の中では”武道禁止”、”修身の廃止”、”記紀の授業の廃止”が挙げられます。

武道禁止は精神の弱体が狙い、修身の廃止は低劣が狙い、記紀の授業の廃止は民族性喪失が狙いだと、今の日本の現状を見るに付け納得しています。

帯付にある記述には、

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このように書かれていました。

「占領下の憲法は時限的占領立法にすぎない」とあります。

それがなぜ、教育で平和憲法と教えていたのでしょうか?

答へはこの辺にあるのでは。

「・・・昭和26年(1951)9月8日、サンフランシスコ講和条約げ締結され、一応、自主独立を得た日本であったが占領下におかれた異常な長期期間中に強制されたこの日本文化破壊のマッカーサー憲法を排し、明治の帝国憲法に戻すべきであった。事実、解任されたマッカーサーは、昭和26年5月5日、米国上院の外交軍事合同委員会において「占領期間中に制定された諸法規は占領終了後には日本古来の文明に適合するように修正されてゆくであろう」と証言している。しかしながら※長期にわたる日本人洗脳政策のため、改廃すべき好機であったにもかかわらず、政治家も一般国民も、そのことを忘れ去っていたのは慙愧の至りであった。・・・」。

私から見ると戦後、食べるに事欠く時代まずは経済復興が優先されていたのも影響しているのでは。

昭和45年11月25日、”三島由紀夫”が市ヶ谷駐屯地で命をかけて演説をし自衛隊に決起を促した背景には、主権国家としての目覚めを願ったのでしょう。

劣等国扱いをした現憲法にあるマッカーサーの意図を払拭するにも、自主独立国としての憲法が今求められています。

“諸国民の公正と信義を信頼して・・・”と言って70年、今その弊害が起きています。

特に”外交・国防”に現れていますね~。

主権国家としての自覚の薄い国民が育ち、自由・平等を履き違えた大人が増える結果に。

独立国として憲法はどうあるべきか見直すべきと、今からでも遅くはないと思います。

 

長期にわたる日本人洗脳政策、ネット記事に具体的な方法が記されていました。

一部を抜粋引用しました。

「・・・ところが戦後長く、憲法が米国主導でつくられたことに言及するのはタブーとされ、「押し付け論」を口にすると「右翼だ」「反動だ」と袋だたきに遭った。

本当のことを言ってはならないという「閉(とざ)された言語空間」(文芸評論家の江藤淳氏)が日本全体を覆っていたのだ。その原因はGHQによる巧みなマインドコントロールである。

GHQは占領下の日本で、「中国に対する批判」「戦争犯罪人の正当化および擁護」「占領軍兵士と日本女性との交渉」など30項目の検閲指針を設け、厳しい言論統制を実施した。

その項目の一つが「連合国最高司令官・司令部(SCAP)が憲法を起草したことに対する批判」だ。その結果、「日本の新憲法起草に当たってSCAPが果たした役割について一切の言及」も禁じられた。
GHQは同時に「出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行われていることに関する一切の言及」も不許可としたため、国民は検閲が実施されていることもろくに知らないまま、憲法は日本人がつくったと信じ込まされたのである。・・・」

この記事を読み、何かスッキリした思いがします。

“そうだったのか”と!

子供の頃に聞いた事、小学校の先生が教えてくれたこと、小学校の先生をやっていた伯母の修身の大切さなどが思い出されます。

 

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