5月5日、東京ドームで長嶋名誉監督、松井秀喜の国民栄誉賞受賞式が有りましたね。
始球式で、松井が投手にそしてバッターボックスに長嶋名誉監督が立ち、主審を努めたのが安倍首相、その時のユニホームの背番号が96。首相としても96代目に当たるとの事。
気を利かしてユニホームを作るとき96番にしたのでしょう。
黄金のバットが安倍首相から贈呈される時、右手が不自由な長嶋名誉監督が支えられないと見るや松井は手を添えて介助していました。師弟関係と言われる仲、何気ない行動がそれを感じさせていました。
以前、テレビで長島名誉監督のリハビリの様子を放送した番組が有りましたね。
残念ながら見ることはできませんでしたが、倒れた時重症だったことを知らせる事となりました。
自らの口で、感謝の言葉を発していましたが不自由な様子、しかし語感には間違いない長嶋の発音を感じ取れました。
入団が確か昭和33年、川上選手の後継者として期待されその期待に応えた選手、我々の世代ではヒーローでしたね。
さて本題に入りますが、偶然にも”96”が憲法96条とだぶり安倍首相が政策として掲げていることと一致しました。
彼にとっては、前回首相になって成し遂げられなかった大きなテーマ。
戦後占領政策体制の脱皮こそ、主権回復と位置づける首相、70%以上の支持率の維持している背景には国民の”気付き”があるのではないでしょうか。
前政権が国益無視の外交政策、また内政面においても公約を果たせないパファーマンスだけの能力なしの政党と気づいたからではないでしょうか。
がしかし、ネット記事によると、”96”条改正の支持が25%と報道がありました。
真実かどうかは別として、私には懸念があります。
前回のブログ”平和憲法って”でも記述しましたが、戦後の教育を受けた人がもう8割以上占めているのではないでしょうか?
戦後、いびつな歴史教育で育った人が大半、果たして本来の国家観で判断できるかと疑いを感じてします。
私は現憲法はおかしいと考える一人です。
個人でも人権を守るには法律だけではカバーしきれないリスクはあります。
それを果たすには”力”も。
国家とても同じ。
“日本国憲法失効論”を読んで、憲法とはと再考出来ました。
著者、菅原裕氏は緒論でこう述べています。
「・・・その文化の戦いは、実は憲法にあった。憲法に対する汚辱とその払拭とが、攻防戦の実体であった。敵国であった連合軍が、追撃戦として、敗戦国にとどめを刺すべく、戦勝の余威を駆って、怒涛の如く押し寄せ、ボツダム宣言に反して、全面占領を行い、日本の崩壊を策して、苛酷きわまる占領統治をやったが、その根幹になすものは、すなわち憲法の改正であった。いな改正に名をかる帝国憲法の廃棄であり、日本国憲法なる偽憲法の制定であり、よってもって日本民族の生命を扼殺することであった。・・・」、
>ボツダム宣言に反して
とありますが、無条件降伏でなかったのではないでしょか?
知る必要がありますね。
当時、良識の知識人はこのように捉える人がいた事が重要な点で、それを知らしめないようにしたのが占領政策だったのでしょう。
ですから、本質的に憲法としてどうあるべきか判断できる日本人がいるでしょうか?
洗脳された結果としての25%支持は憲法問題の本質を表していないような気がします。
主権国家としてあるべき姿の憲法、永世中立国のスイスと照らし合わせるのも参考になるのでは。
コメントを残す