黒糖焼酎– 両親の故郷の酒–

いつもながら何か面白い番組がないかと、ケーブルテレビのチャンネル回していると黒糖焼酎を題材にした番組がありました。
奄美大島での撮影番組です。
レポーターの女性が、黒糖焼酎の工場で焼酎を飲みながら、その工場を経営している両親、息子との懇談シーンが見始めです。
ある銘柄の焼酎を試飲して、感想を述べていました。
香、味に触れおいしいと飲んでしました。

その焼酎、20年以上も寝かしてあったもの。
この工場、手作りを大事にしたいとすべての工程をこなしています。
そのようなやり方では、現状の規模が限度とも言っていました。

 

様々な焼酎がありますが、これほど普及するとは私らの年代では驚きです。
子供の頃は、安く飲める酒、印象としては当時、土方と言われる職業の人たちが良く飲む酒と記憶にあります。
ビール、日本酒はそれに比べると値が張るものでした。

 

当時、家の裏が酒屋さん、大人たちが立ち飲みをしていたことを思い出します。
確か、つまみは塩豆なども置いてあり、酒屋さんは樽から日本酒をコップに入れて供していたと思います。
樽酒は、木の香りがほんのりとして瓶に詰められている酒とは一味違います。
酒飲みの私、当時はおいしく酒が飲めたのだなーと思います。

 

そのレポーター、焼酎を飲みながら郷土料理の「豚みそ」を勧められ、食してその味の感想を述べます。
とても豚肉に合って、おいしいと言い、作り方を奥さんが説明します。
味噌に鰹節、ほかに甘みとしてザラメを入れてあると。
両親の郷土の豚みそと作り方は若干違うようですが、私自身子供の頃から食べているのでそのおいしさは想像できます。

 

場面が変わり、酒が並べてある棚とカウンターが写ります。
宇検村にある開運酒造。
一見酒場風な場所。
その場所、黒糖焼酎を造る工場の一角で、
レポーターがある女性にインタビュー。
それに答えて、次のように話していました。
焼酎は昔、私が若いころ男が飲む酒と相場が決まっており、女性は飲むことはなかったが女性に似合う、黒糖焼酎を造りたいと思いたち作った銘柄が「れんと」という焼酎で、
甘さ、香りを特徴として女性に受けるように開発したと語っていました。
その工場の杜氏として働き始めたそうです。

 

その工場、もともとは別の仕事をしていたので、焼酎つくりはゼロからのスタートだったそうで、
島では、働き場が少なく若い人に職を提供し村おこしもかねて、始めたそうです。
そんな背景もあり、働いている人たち、生き生きとして働けるようです。
島外の多くの人達に飲んでもらいとも語っていました。
そういえば、酒瓶のデザインは空色に着色して、レッテルなど、今風な印象を持ちます。

飲み方はオンザロックがお勧めだそうです。 

醸造している現場にカメラが入り、その様子を映し出していましたが、ステンレス製と見える大樽にスピーカーを据え付け、音楽を流しているのです。
音響醸造と言って、焼酎に振動を与えることで熟成させるつくり方をしていると担当者が語っていました。
これも売りなのでしょう。

 

焼酎の銘柄が増えて、多くの焼酎が売られるようになった昨今、様々なものがありますが、
喜界島では昔から飲まれているのが、「朝日」です。asahi.jpg

昔は4、50度ほどあり強い酒でした。
まさに男が飲む酒そのものです。

 

風潮なのでしょうが、マイルドを売りにして普及したのでしょう。
余談ですが喜界島、サンゴ礁でできた島なので、奄美本島とは土壌が違い作られる黒砂糖はおいしいです。
毒蛇ハブもいません。

番組の構成上、奄美情緒を演出するために、海辺に立ち、「しゅんかね節」を前山慎吾がサンシンを抱え唄っていました。

郷愁漂う雰囲気がありました。

 

私が飲んでいる焼酎が家内のふるさと鹿児島のイモ焼酎。

「白玉の露」

siratamanotuyu.jpgこれも結構いけます。
焼酎、昔より匂いが弱くなっているような気がします。
昔飲んだ球磨焼酎、米で作ったものですが、匂いがきつかった事。
しかし、飲んでいるうちに匂いに慣れて飲めるようになりました。

 

今後もいろいろな焼酎が作られるのでしょうが、度数の強い焼酎もあっていいのでは、
喉が焼けるような感触も悪くはありません。

作られているでしょうが、マイルドが好まれるので市場に出回わる量が少ないのかもしれませんね。

追記

民謡教室の会長さんに教えていただいたのですが、

蒸留して最初にこぼれ出てくるのが、60度、段々と度数が落ちて、25度のほどの焼酎が出来るそうです。

1回の蒸留で、60度は一升瓶ほど出来ると言っていました。

この様子から、昔は家々で焼酎を作っていたようです。

こうも話してくれました。

会長の親父さん、焼酎が好きで、食料が不足しているときでも理由をつけて、黒糖、イモ、米を使って作り、

家庭としては食べる分がその分だけ減ってしまうので困ったそうです。

日本で食料難があったことなどを若い人たちは知らないでしょうね。

 

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