朝、テレビを観ていたら谷啓が死んだと放送していたので、「えっ」と思いつつ驚きました。
体調が悪いなどと、報道されていませんでしたから。
78歳でした。
放送で、自宅階段で転び、頭、顔強打して脳挫傷が死因と聞き、年寄りにとって「転ぶ」ことの怖さを再認識しました。
昼のニュースで、多少脚が不自由になっていたことがわかりました。
22年ほど前でしたが、「50過ぎたら転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」と体調管理に関して、年上の方から教えて頂いた格言を思い出しました。
この年になると、若いころと違い、反応が鈍くなり咄嗟の対応ができにくくなってきます。
脚の衰えもあり、躓いて手がでず顔面を保護できなかったのでしょう。
今朝(9/13)テレビ番組で自宅での事故が多いことを報道していました。
若い時には想像もできないことです。
合気道の受け身の稽古は、頭を守ることを第一義にしています。
脳のタメージがいかに怖いか知らされました。
谷啓、芸名はアメリカの喜劇俳優ダニーケイをもじってつけたものです。
クレージーキャツのメンバーで、トロンボーン奏者としても卓越していると聞いていました。
彼らの「大人の漫画」という番組のコントがとても面白く、それ以来ファンになりました。
フジテレビ、昭和34年放送開始だそうです。
ザ・ピーナッツの歌いだしで始まる「シャボン玉ホリディー」も人気番組で、毎週のように見ていました。
ハナ肇とクレージーキャッツ、コミックバンドとしても面白く、植木等が歌った「スーダラ節」が大ヒット、それ以降、植木は無責任男として映画にも出演し人気者に。
ハナ肇をリーダーとして植木等、谷啓、犬塚弘、桜井センリ、安田伸、石橋エータロー、それぞれが個性豊かで、グループとしてバランスがとれていましたし、楽器をあつかわせればプロのキャリヤをもっていて、コミックバンド、当時としてはとてもユニークに感じたグループでした。
それ以前は、コミックバンドとは一味違いますが、楽器、ギターなどを使ったグループで漫談を行っていたボーイズものが流行っていました。
記憶にあるのが、「川田晴久とダイナブラザース」というグループです。
必ず始まりに、「地球の上に朝が来る、その裏側は夜だろう」とのフレーズでした。
戦後まもなくの頃です。
時代が落ち着いてきた昭和30年代半ば、そのような時代背景で、出てきたクレージーキャッツは、スマートな印象を受けたものです。
谷啓のギャグ「ガチョン~~」植木等は「お呼びでない? こりゃまた失礼しました」ハナ肇は「あっと驚くタメゴロー」が有名です。
それぞれが映画出演して演技にも才能を発揮しています。
クレージーキャッツの影響でその後、ザ・ドリフターズが出現し子供らに絶大な人気を博します。
それにしても、メンバーひとりひとりに才能が有り、何をやっても芸達者そんな人たちが一つのグループに集まることも珍しい事だと思います。
安田伸は芸大を出ています。
石橋エータローは後に、料理研究家に。
犬塚も俳優になり渋い演技で大活躍。
そんな時代を経て、クレージーキャッツのメンバーがまた一人減り、振り返れば50数年の年月が去っています。
私が知る芸能人、有名人が亡くなっていくのを見ていると自分も年をとったなあーと思わされます。
谷啓の活躍、最近では映画「釣りバカ日誌」、とぼけた感じの演技をして存在感がありました。
犬塚弘がインタビューに答え「身体をもぎ取られる思いがする」と語っていましたが、
残った者としての悲痛さが伝わってきます。
谷啓と付き合いがあった人々のコメントが、「シャイで 穏やかで、控えめな人」という言葉が目立ちます。
芸能人に向かない性格のようにも思えますが。
人気全盛の頃、日本も高度成長期、映画、テレビに大活躍のグループでした。
谷啓の戒名
玄妙院殿谷啓日雄大居士位(げんみょういんでんこくけいにちゆうだいこじい)
合掌
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