9/5、ニュースで、大阪の米加工販売会社「三笠フーズ」が工業用に限定された「事故米」を食用として転売していたと報じた。
タイトル通り、「また、また、また出た食品事件!」
ふと、思うことは何故食品業界に多く出るのだろう。
最近、建築業界ではマンション耐震偽装事件があり、購入者にとっては一生問題として残っている事案だが、更に深く調査すれば、耐震不足の建築物は存在しているのかもしれない。
それにしても雪印乳業の事件から、食品業界は、偽装、不正、が毎年のように出てくる始末。
今年に入り、食肉加工偽装、中国の毒入り餃子、うなぎ産地偽装、など。
今年上半期(1~6月)に全国の警察が食品の産地や品質の偽装で摘発した事件が9件、29人となり、過去最悪だった2003年(11件、45人)を上回るペースで増えていることが4日、警察庁のまとめでわかったと報じています。
農林水産省の杜撰な検査など、現状認識の甘さも指摘されています。
役所仕事、法律の不整備、等の問題だけではない事件と見直すべきです。
食品業界に携わっている人達が、食品業界に身を置く人としてどうあるべきか垣根を超えて指導者にある立場の方々(例えば、組合の長、会社社長)が、業界全体で参集し反省すべき時期に来ているだと思います。
何だかんだといっても、問題を起こしているのは「人」です。それもその組織の長です。
「公」社会に対しての業界の使命、責任の再認識です。社会的責務を忘却しているからだと思うからです。
そう思う背景に、小学校の先生に言われた言葉を思い出すからです。
最近10年ぶりに、先生とお電話で会話をする機会に恵まれ、その時いろいろとお話させていただきました。教育について「質の低下、問題解決する能力が落ちている」の見解を述べた時、先生は寂しそうに「今の教育では」答えました。
具体的面はどの事なのか私は詳しくわかりませんでしたが、本で読んで知っていた知識からなんとなくわかったような気がしました。
知識詰め込み主義になり、創造力、解明力、観察力を育てる理科、図工、音楽どの授業がないがしろにされているのではと。
他に、先生が言われた言葉で印象に残った言葉が「自由、平等を履き違えた」です。先生はこのことが大きな誤りだった言われました。
今度の事件も、根はここにあるような気がします。「自由、平等の履き違え」が進み、自分さえ良ければという「我儘」が育ち、社会的責任、使命を忘れさせたのでしょう。
でも戦後の風潮を想像するとそれが潮流となり社会は動いたのだと思います。例として、戦前では考えられない「裸踊り、ストリップショー」が公衆の面前で演じる事が容認されました。
それも、自由の風と戦後の大人たちは感じたのでしょう。
子供の頃「自由、平等を履き違えた」はよく耳にしていた言葉でしたが、今はその通りと確信を持って理解しています。「公」に対しての責務を教えず、自由で、平等だといって日本は利己主義になりました。自分の都合優先で、他へ思いやる心がない風潮にあります。
戦後教育で、教育の3本柱「知育」「徳育」「体育」の「徳育」が十分果たせなかった点も見逃せません。
私、「道徳」の時間があった事は記憶にありますが、何を学んだかよく覚えていません。
高度成長を続けた昭和30年後半から、知らず知らずに金儲け優先のエコノミックアニマルと言われる日本人になっていました。外国の人か、誰が言ったかわかりませんが、明らかに侮蔑の言葉です。
それもさほど、意に介さず今日に至っての食品業界の不正、偽装、詐欺事件。
食品業界に限って、そんな人材がおおいのでしょうか、一連の事件すべて金儲け主義優先の会社経営です。
しかしたまたまの偶然のような気もします。だた、目立っているだけと。
「公益」を忘れた会社は、いろいろな業種にでも事件を起こしています。
報道する側のマスコミ業界の会社でも同様な、捏造、やらせの偽装番組、社員の破廉恥行為などの事件、公平さを欠いた偏向報道など報じられています。
やはり、根は一緒の感があります。
この一連の食品業界の事件、日本国、日本人に警告を発しているように思えます。
<追記>
このブログを書いた次の日、9/9のテレビニュースで三光フーズが海産物、えび、ホタテ、刺身など消費期限を偽り使い回しをしていたと報道。
何故、何故と思わざるおえない。
ただ、賞味、消費期限は前にもブログで取り上げましたが、この件は流通の仕組みなど再考しなければ、まだまだ起きてくると思います。
現実に食することが出来るから。
すし屋さんに聞いたことですが、鮮度が落ちれば煮物、焼き物、炒めものと調理によって充分食材として使えるものなのです。
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