最近、会社の仕事・商談などで50代、60代と年代の方とお話をする機会が増えてきました。
社長業を長くしているからでしょう。20、30歳も年の離れている人達、どんな考えを持っているか、最近気にかけている事を、会話の中で何気なく、投げかける言葉があります。
「あなたは日本人としてアイデンティティで思い当たる事柄で何にがありますか?」と問うと、ほとんどの人が意表を衝かれたように返事に戸惑うことがほとんどです。
この言葉を投げかける切っ掛けが、戦後の教育で大和民族・日本人と自覚が薄れ民族観を見失ったと危惧するようになったからです。
国が成立する根幹は国を思う心に拠るものと思うからです。
明治維新以降、近代国家として変貌した日本が国家形成の基本にしたのは教育でした。
その基本になったのが教育勅語でした。
ふりがなを付した教育勅語
朕(ちん)惟フニ(おもうに)我カ(わが)皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)我カ(わが)臣民(しんみん)克ク(よく)忠ニ(ちゅうに)克ク(よく)孝ニ(こうに)億兆(おくちょう)心ヲ一ニシテ(こころをいつにして)世世(よよ)厥ノ(その)美ヲ(びを)濟セルハ(なせるは)此レ(これ)我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實ニ(じつに)此ニ(ここに)存ス(ぞんす)
爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ(ふぼにこうに)兄弟ニ友ニ(けいていにゆうに)夫婦相和シ(ふうふあいわし)朋友相信シ(ほうゆうあいしんじ)恭儉己レヲ持シ(きょうけんおのれをじし)博愛衆ニ及ホシ(はくあいしゅうにおよぼし)學ヲ修メ業ヲ習ヒ(がくをおさめぎょうをならい)以テ智能ヲ啓發シ(もってちのうをけいはつし)德器ヲ成就シ(とっきをじょうじゅし)進テ公益ヲ廣メ(すすんてこうえきをひろめ)世務ヲ開キ(せいむをひらき)常ニ國憲ヲ重シ(つねにこっけんをおもんじ)國法ニ遵ヒ(こくほうにしたがい)一旦緩急アレハ(いったんかんきゅうあれば)義勇公ニ奉シ(ぎゆうこうにほうし)以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(もっててんじょうむきゅうのこううんをふよくすべし)
是ノ如キハ(かくのごときは)獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス(ひとりちんがちゅうりょうのしんみんたるのみならず)又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン(またもってなんじそせんのいふうをけんしょうするにたらん)斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ(このみちはじつにわがこうそこうそうのいくんにして)子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所(しそんしんみんのともにじゅんしゅすべきところ)之ヲ古今ニ通シテ謬ラス(これをここんにつうじてあやまらず)之ヲ中外ニ施シテ悖ラス(これをちゅうがいにほどこしてもとらず)朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ(ちんなんじしんみんとともにけんけんふくようして)咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ(みなそのとくをいつにせんことをこいねがう)
明治二十三年十月三十日 御名御璽(ぎょめいぎょじ)引用元:ネット記事。
亡くなった義理の叔母(鹿児島師範学校卒:職業は教師)はある時この教育勅語は今でも通用するものだと私を諭しました。多分私が戦後教育はおかしいと考えを述べた時の言葉と思います。
この本を読んでいたので叔母に問うたことからだと思います。
敗戦した日本、戦争の反省から叔母は斜線太文字部を除けばと今でも通用すると話していました。「除けば」と話したのは「平和教育」への配慮からでしょう。
覇権主義の国家が近隣に存在する日本、国際情勢が緊迫しているからこそ斜線太文字部も地政学的な意味合いから吟味しなけらばならないと思うこの頃です。
最近取引先の方(50代)と現在の日本取り巻く環境は危ういがいざとなったらどうする聞いた時、私は平和主義者ですから争いは避け従属し平和を保つというのです。
従属すると言う事はどういう事が分からないのでしょう。
まさに戦後教育の成果と思いました。
中国が行っているチベット、ウイグル族の弾圧など知る由もないのでしょう。
私は呆れてしまい、平和主義これ極まりと驚いた次第です。
誇り、自尊など民族の自立の根幹をなす心性がないのです。
また、60代の方で「中国が日本を攻めてきたら怖いですね、どうなるんでしょう?」と不安がるだけで、国家観に根ざして考えを披歴するわけでもなくその言動に情けなくなりました。
戦前までは軍国日本として覇権主義の国際社会において国防の意義を教化していたでしょうが、敗戦で平和国家日本となり、国民に「平和、平和」と唱えるだけの教化になり、そんな大人が育ったのでしょう。
我カ(わが)皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ(くにを)肇ムルコト(はじむること)宏遠ニ(こうえんに)德ヲ樹ツルコト(たつること)深厚ナリ(しんこうなり)
教育勅語の冒頭の言葉が大和民族としての自覚を促す言葉です。
初代神武天皇から今上天皇126代万世一系と紡ぐ柱こそ皇祖皇宗の国と成り立っているのが日本国なのです。
戦後、80年その意義を教化しないままにしたことが、マッカーサーが恐れた日本人の「勇気」「団結心」そして、3000年の歴史で育まれた「大和魂」が喪失した結果でしょう。
戦後ブレずにこれを明確に主張した作家が三島由紀夫氏であり、いつも有楽町で演説していた大日本愛国党総裁赤尾敏氏である。
昭和40年代有楽町で何度か演説を聞いたことがあります。
戦後教育の影響もあり一概に理解しかねる部分がありましたが皇室の考えには納得しました。
時が経つにつれ、国体護持という意味で三島由紀夫氏、赤尾敏氏の主張が理解できるようになって行きました。
後藤静香(せいこう)著 詩集「権威」の最後に書かれた詩「日本の姿」の一節を紹介し戦前の日本人の中心にある心を紹介します。
「神話は神話だ それでいい 神話にやどる魂に 真に日本の姿がひかる」
後藤静香氏が敗戦直後敗戦で打ちひしがれた日本人を励ますために書いた詩、今の日本人かその意味理解できるでしょうか?
当時の日本人は普通に理解出来たと想像します。






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