昭和100年の今年、敗戦から80年を迎えた日本。
因みに明治100年は1968年、大正100年は2012年となります。
私は100年の節目を3度経験したことになりますが、昭和100年は私の人生79年が重なります。
敗戦で日本国が占領政策の「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」に沿って「大和魂・いやあまたごころ(多くの日本人の共通の善意識)・日本精神」を無くす教育を受けた世代。
戦後生まれの私のとって戦前の日本の価値観が大きく変わり、GHQの占領政策の下「自由平等」「民主国家」等と謳い、労働運動で「ミンシュ・ミンシュ」と喚き今までの価値観を壊しました。
それを日本は新しく生まれ変わったと教えたのが中学時代の社会科だと記憶しています。
戦後の黒塗り教科書が象徴的な出来事でした。
そして修身教育は廃止されました。
愛国心、忠誠心、武士道などの言葉が軍国主義につながると排斥されました。
中学生の時の記憶では、先生が「歴史教育は史実に基づかない出来事を教えてはいけない」と説明されたことを記憶しています。
それにより、神話に基づく太古から伝えられていた「国の成り立ち」は大和民族としてのルーツを学ばず、精神的基底を失い、「大和魂」を失い彷徨える民族と変質しました。
従い、国家観もなく時流に流されながら今や先祖が守ってきた大和国を失い欠けています。
戦前では皇祖皇宗の遺訓として皇室の歴史・文化を教えていましたが、神話として日本の成り立ちを学ばなくなり、大和民族としての心性を失いました。
従い国は乱れ、政治家は私利私欲のためだけにこだわり「公に尽くす」本来の姿勢を忘れ、武士道の「自己犠牲の精神」は戦後の教育で身に付かなかった政治家がいま多く現出しています。
こんな現象を見るにつけ、小学校の恩師(東京師範学校出)の言葉を思い出します。
●「マッカーサーは大和魂を貶める」ために修身教育を廃止した。
●「自由平等の履き違い」
● 「平等という名の悪平等」
●日教組についてお聞きした時の回答は「自らの格を貶め、ただ金の欲しさの労働者になり下がった人達」と申され、さすがに聖職としての矜持、自負を持つ師範学校での教師らしいお言葉です。
翻って、マッカーサーは日本を弱体化を進めるにあたり明治以降に制定された教育制度を壊すことに狙いを付けました。
戦後その具体的手段として、伝統的価値観を壊すために、これらに否定的な共産主義社者、労働組合員を利用し戦後の混乱を誘発しました。
今では、その流れ(左翼思想)がメディアに受け継がれ、偏向報道に表れていますが、近年SNSの普及により世論操作が出来にくくなりつつあります。
このような思いに至る切っ掛けが、
小さい頃(小学校低学年と思われる)ある大人が「坊や!マッカーサーは日本人の勇気と団結心を恐れ、占領政策で弱くしようとしている」
コメントを残す