「秘伝 戸隠流忍法」初見良昭(まさあき)著

いつだったか?テレビで放映されていた番組に、この著者である※初見氏の道場稽古風景映し出されていました。

※映像はテレビのものとは違っていますが、参考のためリンクしました。
以前より海外は忍者ブームと聞き及んでいましたが、外国人の修行者の多さで納得した次第。
テレビでは外国人が争って初見氏に揮毫を頼んでいました。
そんな光景を見るといかに真剣に忍術(忍法)を修行しているかを伺えました。
この傾向は忍術だけだなく他の武道にも見受けられ、武道に対する※偏見のある日本人より真摯な思いが伝わってきました。
※ 今はどうなのかな?、大学時代私が合気道部で稽古していた頃は特に強かったと思います。


番組を見て本棚にしまっているその本を思い出し本棚から引っ張り出して、暇を見つけて拾い読みしていくと、35年ほど前に読んだ時より、年も行ったせいなのかいちいち納得する記述が多くあり、サブタイトルにある「生きる知恵」とは言い得ていると納得です。
忍者といえば、私等子供の頃に知った、猿飛佐助霧隠才蔵児雷也(大きなガマガエルの乗って現れる忍者)が思い出されます。水遁の術、木遁の術、火遁の術など懐かしい言葉も出ていました。

水遁の術: 異常物質として水の特性を利用して行う。

木遁の術:木陰に隠れたり、材木を倒したり、あるいは木の枝をざわつかせて注意をひきつけたりする。

火遁の術:火遁の”前戯”は胴の火。打竹(懐炉灰)で枯葉や障子に火をつけたり、火の影になって注意をひきつける。

ページをめくっていると、その一つに、「ここだけ悪いとシゴけ」という項に特に関心が向きました。
昨今、「シゴキ」=「暴力」と認識されて本来の意義とは違ってきた経緯が読みとれました。
著者は昭和6年生まれ、御年88歳、参照したビデオの映像は86歳の時、身のこなしなど、軽やかで年を感じさせません。鍛錬されている証です。

著者の体験から書かれている「シゴき」の見解は次の内容です。
書かれた時期は昭和59年頃。
〇 「ここだけ悪いといってシゴけ」、

※シゴキ:厳しく鍛える。

「私なんかが若いときは、師のシゴきに耐えることが修行の第一という考え方があった。ところが、私にいわせれば過保護現象の悪い面というこになるが、最近はこのシゴきに耐えぬこうという若者が少なくなった。自分だけは温室にいて、なんとかそのまま楽して育ちたいという考え方の者が多い。したがって”シゴき”は悪だと決めつけ、シゴきを用いる先輩は能なしだといわんばかりである。武道にかぎらず、よい味での”シゴき”がなければ、けっして良い人間を造ることがはできないと思っている私には、腹立たしい現象である。・・・」

「ラクして技は身に付かない」これは今でも変わらないでしょう!

ここまでの記述で著者は、「シゴき」という言葉を用いていますがその意図からは教導、技を身に付けさせる手段・方法という意味で使っています。この言葉の意味をどう解釈するかで認識が変わってきます。
昨今、「シゴき」の言葉から「イジメ」と印象を持つほうが大半ではないでしょうか?
私が大学で合気道部に入り、技の上達を促すために先輩から過酷な練習を強いられた際、「シゴカレタ」との認識を持ちましたが稽古の一環として耐えるものと自覚し、「イジメ」(場合によってはそう思うケースがありましたが)と思わず強くなるための稽古と受け取っていました。

しかし、報道側では必ず「暴力事件」として扱うために、その意義をわからない人は印象で悪いことと判断されてしまう傾向になっています。
「鍛錬」、本来は鉄(金属)を鍛え練るの意味ですが、武道稽古にはぴったりと嵌る言葉と思います。
その過程にあるのが「シゴき」なのです。

著者は技を身に付ける過程で不具合(悪い)動作に意識を集中させ矯正を促す方法と捉えて、技を習得するうえで不具合な「クセ」を取るいい方法と云っています。
方法論としては「鍛錬」なのです。
世論、風潮が報道側の扱う印象で「悪」とみられるに至った時期だったのでしょう。

時代、考え方が変わろうが「技」を身に付ける作業はスポーツでも武道でも「繰り返し」が基本であり、「どうやるか?」はいつの時代でも手段・方法が様々に生まれ、それが流儀となっているのが現実です。
教える側、習う側の心構えにより、良否が決まってくるのです。

「・・・しかし、”シゴき”が大切という考え方だけで先輩の立場を守ろうとしてもそれは無理な話だし、かといって”シゴき”なしで、すべて民主的にという方法では、真の先輩後輩の関係は保てない。しかし、私はやっぱり”シゴき”は捨てられない、ならばその”シゴき”方を考えようということにした。・・・」

          「すべて民主的にという方法では、真の先輩後輩の関係は保てない。」
と著者が言っているのは、「師弟関係の構築」が教える行為の始まりと受け取れます。
「教える・習う」の行為には必要なことと思います。

「・・・弟子たちの短所をさがしだし、私はそこを痛烈に刺す。はたして弟子たちは、私をあたかも古い形の師といった一種の不安の目で見るようになる。数日間そのまま放っておくと、わざと我々の短所を見つけて無理にシゴいている先生の心がわからんというようなことをいう連中もいる。いわばこれが現代人の特徴で、なかなかそれを善意に解釈しようとはしないのだ。・・・」

「いわばこれが現代人の特徴で」と書いますが、昭和6年生まれの著者から見れば、日本人の変質と受け取れたのでしょう。
この傾向は今でも続いているような気がします。

「・・・そこで私は弟子を呼ぶ。そしてこういってやるのだ。「私はけっして君の欠点ばかりをさがしてイヤ味をいっているんじゃないぞ。まず、口でいっても駄目なならあえて苦言を吐いたりしない。そしてもう一つ。君はそこだけが悪い。そこを直せば素晴らしい武道家が目指せるのだが・・・」。これで私の見る目が一転する。つまり、そこだけが悪いの一言が利くのである。そこを直せば、とファイト満々なところを見せてくるのである。昔日のシゴきが通じぬ世の中なら、今日のシゴき方を考えださなければならない。師を信じられぬときには、その弟子の心には邪心が渦巻いているのである。だから、その邪心の邪を教え、よいところを見つけてやることなのである。」

短所を矯正し長所を伸ばす教えはこれからも教導する側、方法論として持たなければならないことですね。

私が合気道部でシゴかれる体験をしましたが、動機は強くなりたいという思いが「シゴき」に耐えられる心を保持させたのでしょう。
時期は昭和40年代、合気道を教える師範はやって見せるだけですが、技を身につけるかは「技を見て盗む」行為にかかってきます。
師範と会話をする機会はめったにありません、真似るだけの稽古から自分を強くするのは自分次第となります。

「今日のシゴき方を考えださなければならない。」と著者は語っていますが、その時から15年ほどしか経っていないのに、時代の流れ、変化が起り、それに適応する工夫が必要と感じたのでしょう。

この本が書かれた時からさらに35年経っている現在、武道を稽古している人たち、様々な動機で始めるのでしょうが、武道もリクリエーションの一つとして老若男女が稽古に励んでいます。これも時代の変化といえるでしょう。

指導する側も、今では強いるような稽古をできなくなり、一般的には楽しみ重視の稽古に変わってきました。
冒頭、初見氏のビデオを紹介しましたがほとんどが外人、私が合気道に出会って54年がたっていますが、今では海外に普及し、youtube で見ると※外人師範が指導している映像を見ることができます。

※ この女性、40年前ほど、茨城岩間にあった、合気道修練道場(今は茨城支部道場)で会った方、パットと呼んでい居ました。敷地内にある食堂で甲斐甲斐しく、お茶くみをしていたもんです。修行とはいえ日本の慣習を受け入れ真摯に内弟子として稽古を励んでいました。今では立派な合気道師範として活躍しているのを見るにつけ感慨深いものがあります。

古武道の範疇にはいる武道まで、外人が修行している現状を見るにつけ、改めて「日本精神文化」として外国に受け入れられる理由は「精神性において」人として共通する「心」が学べると感じるのでしょう。

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