大和心

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DSC_0353 (562x800)大和心と言う言葉と出会ったのが、今から37,8年前志木駅の広場で開催されていた古本市で見つけた「技法日本傳柔術 著者 望月稔」という本からでした。 買った動機は、当時友人に頼まれ合気道を指導していた事もあり、参考になるかなと思いでした。 読んでわかった事ですが、※望月氏も昭和初期、開祖植芝盛平に師事して合気道を学んでいます。

※明治40年4月11日生

技法の解説と自身の理念を著した内容になっています。

その一節―武士道とは―に、「大和心」の説明があったのです。

「『武士道とは死ぬことと見つけたり・・・』とか、『君の御馬前に討ち死にする以外に、武士道あるまじき・・・』という。もとより全くのあやまりではない。だが武士道というものは、そればかりではない。明治の中期頃すでに新渡戸稲造博士が得意の英文で世界に紹介した武士道論のごときは『葉隠』のそれとはスケールに大きな違いがある。そこには西欧の騎士道やジェントルマン意識にも劣らない倫理性を述べている。その根源はどこにあるかと追及すれば、『大和心』と言う事になる。

これは『やまとこころ』と読むのが普通であるが、『いやあまたこころ』の転化である。それを今様にいうならば最大多数者の共通的善意識ということになる。いあやまた(非常に、多くの人人の)心(真心)である。この『大和心』―――いやあまた人の共感としての真心―――これこそが日本精神文化の華たる『武士道』なのである。したがって武人の特質でもなければ専有物でもない。古くは、万葉集の歌の中に散見される『今日よりは、かえりみなくて・・・』『海ゆかば水づくかばね・・・』のごとく、国を守り『防人』として民族の防衛力に徴兵されれば、一切の私情を捨てて全体に奉仕しようとする、そういう心の表明が万葉集に残っている。

ずっと代は下がるが町人どもとよばれ、第三階級とされていた商人でも47人の義士をかばって一家全員が極刑を受けても屈しなかった天野屋利兵衛がいる。女性ながらも維新の志士を庇護した疑いで投獄され、拷問を受けながら所信を貫き通した野村望東尼や三条大橋の上で颯爽たる征夷大参謀西郷隆盛の馬前に駆けよって『討つ人も、討たるる人も心せよ、同じ御国の民ならずや』の一首を差し出して、大西郷に最敬礼させた太田垣蓮月尼のような女性もいる。」引用文。

※天野屋利平兵衛、忠臣蔵では武器など調達して四十七士を助ける話があります。

※記述に誤りがあり、修正しました。

「赤穂浪士の吉良邸討ち入り後、かなり早い時点から赤穂義士を支援した義商として英雄化された。討ち入り直後に書かれた加賀藩前田家家臣杉本義隣の『赤穂鐘秀記』においても「大坂の商人天野屋次郎左衛門、赤穂義士たちのために槍20本つくったかどで捕縛され、討ち入り後に自白した」などと書かれている。赤穂浪士切腹から6年後の宝永6年(1709年)に津山藩士小川忠右衛門によって書かれた『忠誠後鑑録或説』にも「大坂の惣年寄の天野屋理兵衛が槍数十本をつくって町奉行松野河内守助義により捕縛され使用目的を自白させるために拷問にかけられたが、答えずに討ち入りが成功した後にようやく自白した」などと書かれている。」ウキペディアより。

忠臣蔵では、拷問に耐え、口を割らなかった時の科白に「天野屋利兵衛は男でござる」と言い放ったぐらいで、商人でありながら男気のある人物だったようです。

野村望東尼(ぼうとうに)は戦前、初等科修身四の項で「自分で慎む」のお手本として紹介されており、

誰もが知る女性だったようです。

昔より「大和心」として、心性、徳性が練られた背景には、公に尽くす、利他の念、義を大切にする精神があまねく、その共通的善意識が大切なものと共感していた事が伺えます。

「あるいは、討幕の勝報に酔った官軍の長たちが、まさに徳川慶喜の死刑を判決しようとしたとき決然と立ち上がった御年16歳の明治天皇が『結果としては志とは違ってしまったが、慶喜は一貫して大政奉還を説いた。そして300余大名たちを押える努力も続けていたのではないか、死刑にする必要はない』と大喝一声、ついに慶喜の刑を免じて駿府(静岡)に隠居することを許された。これこそ帝王にある『武士道』である。それは農民にあり町人にあり婦女にあり、帝王にあり日本人の深奥にひとしく持っている『大和心』であり、日本精神文化の華である。」引用文。

30代前半の頃にこの記述にふれて改めて、大和魂なるものの本質を知りました。 当時までは、大和魂と言えば勇猛果敢な敢闘精神を指すものと思っていました。がしかし、著者の「共通的善意識」という説明からモラル、道徳としての位置付として大和心、大和魂と呼称していたのでしょう。

 

戦後は軍国主義なる造語を使い、短絡的にその精神を戦争に結び付け武士道、大和魂などを批判する人たちが居ましたが、とんでもない的外れなことです。

昭和40年代の経験ですが、大学紛争がおこり左翼暴力学生が暴れた時代がありますが、その時その連中、部活で武道をしている学生、私らを「右翼」と勘違いするくらいに短絡的でした。

某大手新聞社も同様でした。

この傾向は今では薄まっているようですね。

最近テレビの映像で、琉球古流空手の稽古風景が流れていましたが学ぶ外人たちの走りの掛け声が「ブシドウ、ブシドウ」だったのには驚きました。

また、日本ラグビーチームの応援のテレビの映像に「大和魂」と銘打った場面がありました。 大和撫子も昔の呼称ですが、サッカーチーム名に冠しているくらいです。 どの程度の認識は分かりませんが、だんだんと日本精神の理解が深まっているように感じます。

ただ今でも忘れられない言葉、何年前になりますか、小学校のクラス会で先生にお聞きした事、「先生、何故、戦後修身教育が無くなったのですかと」と聞くと、先生は「それはマッカーサーが大和魂を貶めるため」と言われたことを聞いて納得した経験があります。

 

日本人、短絡思考を止め、「日本の心」を見つめ直さないといけませんね。

追記

合氣道の場合、開祖植芝盛平翁が神道の心を以て、その理念を説いていますが、外人にも受け入れられる哲理を有しています。

敗戦により偏見が起り歪められた「武士道」「大和魂」の日本精神文化は、日本人より外国人の方が素直に受け入れているのではないでしょうか。

約40年前、茨城にある合気道道場で内弟子となって真摯に稽古する外国人の姿を思いおこすと間違いないような気がしています。

 

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