古事記伝–本居宣長–

記紀と言えば、戦後教育は教えられなくなっていましたが、子供の頃の記憶と言えば「天照大御神」「因幡の白ウサギ」「日本武尊の東国征伐」などは耳にしていたと思います。

それが合気道開祖植芝盛平翁と出会うことで記紀に興味、関心を持つきっかけとなりました。

特にここ数年神道に関する書籍を買い求め、すべてを読破したわけではないですが、日本人の心に根差す精神文化と深く認識するようになりました。古事記を読めるようにした功績が本居宣長の「古事記伝」で、それまでは漢文で一般には読めるものではなかったようです。

手元にある、「尋常小學修身書」、「夢を持つ」の章に彼の人となりの紹介する記述があります。初等科修身四とありますから、今でいう2、3年生にあたるのでしょうか。と言う事は小学生でその存在を知ることになりますが、私等は成人して後知ったような気がしますが、今では知る人が少ないのではないでしょうか?教科書でも教えず、その分野に関心がある人が知る程度の存在でしょう。

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そこには、古事記の研究に没頭し、「古事記伝」を書き上げた物語が記され「修身」では「夢を持つ」「志を立てる」「進取の精神」を説いています。

その経緯は抜粋すると次のようになります。

タイトルが「松坂の一夜」と記され、

「本居宣長は、伊勢の国松坂の人である。若い頃から読書が好きで、将来学問を以て身を立てたいと、一心に勉強していた。ある夏のなかば、宣長がかねて買い付けの古本屋へ行くと、主人はあいそよく迎えて、「どうも残念な事でした。あなたが、よくおあいになりたいと言われていた江戸の加茂真淵先生が、先ほどお見えになりました。」という。思いがけないことばに宣長は驚いて「先生が、どうしてこちらへ。」「なんでも、山城・大和方面の御旅行がすんで、これから参宮をなさるのだそうです。あの新上屋にお泊りになって、さっきお出かけの途中『何かめずらしい本はないか。』とお寄りくださいました」「それは惜しいことをした。どうしてもお目にかかりたいものだが。」・・・中略・・・のぞみかなって、宣長が真淵を新屋の一室にたずねることができたのは、それから数日ののちであった。・・・」

この面会で、真淵は宣長の才気を見抜き、彼が古事記の研究をしたいと申し出に助言をするのでした。

「・・・私も、実は早くか古事記を研究したい考えはあったのですが、それには万葉集を調べておくことが大切と思って、その研究に取りかかってたのです。いつのまにか年を取ってしまって、古事記に手をのばすことができなくなりました。・・・」とあり、宣長にその研究を促し、それを受けて「古事記伝」を著したとありました。

加茂真淵と本居宣長の出会いは、「松阪の一夜」と題している通りこの一回きりでしたが、師弟関係は文通し育まれたようです。昔の人は師を尊敬し深い絆で結ばれるようですね。

これも、修身で教えている様に先生の教えを守るという気持ちの表れなのでしょうね。

この修身は「志を立てる」大切さを教えているのでしょう。

結果的には、この「古事記伝」により古神道が蘇えったようです。

開祖もそのおかげで、フトマニをしり合気道の理念を構築できたのでしょう。古神道の世界観が合気道を通して海外に受け入れられるのは「自然と共生し、神の存在を感得する」点において意識の上で共通するものがあるのでしょう。

 

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