制裁無き学校教育!!

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何に!!生徒が教師を挑発????インターネット記事を目にして、危惧(※ 先生をナメる行為)していたことが実際教育現場で起きている事を知りました。

記事の見出しが・・・「挑発する生徒たち、教師にシャドーボクシング、「殺す、来いや」、手を払えば「体罰!」…それでも体罰認定される恐れ、教師たちは沈黙する」。

思い起こせば、アメリカでは59年前に生徒の暴力が問題になっていた。1955年製作、グレン・フォード主演「暴力教室」が現実に。

 

教育委員会、学校側が体罰を禁止しようとするあまり反動としてそんなことが起きるのではと思っていました。

自分自身、小学校、中学校などの環境に身を置いて居た時の経験から想像して察しが付くでしょう?

誰でもが!!

成長過程で心を自制する思いが弱い子供時代、先生、親などの存在が怖いから言うことを聞いていた自分がいました。

この見解には異論はないと思いますが!?

教育現場で勝手な振る舞い、身勝手など通るわけでもないですが、どの時代でも「ルール・規則破りの生徒」はいました。

だからこそ守らせる制裁が存在してこそ、そんな連中とも共存できたのではないでしょうか。

今では体罰禁止となってそれを逆手に教師を脅したり、からかったりと不遜な行為をする生徒たちが出てきたのでしょう。

教育の専門家でもない私だって察しが付くことを教育側は「制裁としての体罰」の必要性を何故主張しえなかったのでしょうか。

何故なのか!?

マスコミが「シゴキ」「体罰」が暴力事件として取り上げるようになって久しいですね。

最初に記憶のあるのが、ワンダーフォーゲル部しごき事件、確かある山を踏破する際に起きた事件と記憶にあります。調べると記憶通りでした。

「1965年5月。東京農大のワンダーフォーゲル部で新人合宿の際に1年生が疲労の為死亡しました。当時一部の大学のワンゲル部では、下級生に重いザックを背負わせる「ボッカ訓練」が鍛え方の伝統となっていました。その「しごき」が度を超した結果、疲労死を招いたのですが練馬警察署は刑事事件として扱い、主将や監督など7人を暴行罪で逮捕しました。
これは大事件ではありませんが、大学体育会の悪しき慣例に警鐘を鳴らす意味で大きな社会問題として報道され「しごき」が流行語にさえなりました。」インターネット記事より。

私が大学1年の時、大学では合気道部に所属し厳しい鍛錬(いわゆるシゴキ)を耐えていた時期です。

 

これ以降たびたび事件として取りあげられ、「悪」と言う風潮が社会に定着し、そのたびに「是非」の議論が起きて現在に至っています。教育界でも「体罰」が並行して問題視され何度もメディアで取り上げられることに、こんな事件が起きる度建前だけで論じられ「制裁」については真剣な議論がされず、その意義を主張する事が抑えられたのでしょう。

そして、「・・・市立桜宮高校で平成24年12月、男子バスケットボール部の男性顧問=懲戒免職=から繰り返し体罰を受けていた2年生の主将が自殺。文部科学省が全国調査に乗り出すなど社会問題化する中、市立学校の現場から生徒の挑発行為に悩む声が上がるようになった。・・・」。

上記のような現象が起きてしまったのでしょう。

 

思い出されるのが、4、5年前になりますが教育の現状について小学校の恩師にお電話でお伺いした時に、仰られたことが教師が教育事務屋になってしまったと。先生の意図を違った言い方をすれば、教員の職業意識が低下と言えるのでは。

次に、社会における規範、行動則の養成、「修身」が教育現場から道徳教育が消えた。

このことが生徒側から先生を見る目の変化を、教師と生徒の関係において「師を敬う」との考えが希薄となり、アメリカ流にフレンドリーに変わり、

教師側は、小学校の先生が心得として語ってくれた「知識を教えるだけだあれば本を読ませればよい、教師は自身の人格を生徒に反映させ訓育するのが教育」と!、自らを律する覚悟が希薄になって信頼関係が希薄になったことなどが思い浮かんできます。

私等の時代、叩かれるなど肉体的痛みを感じる制裁は誰でもが経験しているでしょう。

親に先生に殴られたと話せば悪いことをしたからでしょうといわれるのがオチ。

この信頼関係があればこそ「制裁・体罰」が容認されてきたのです。

だから「愛のムチ」という効果も発揮できたのです。

「殴られて愛情が感じる」関係が生まれ人間形成にも情緒ある性質が身についたと思うのです。

戦後、アメリカ的な実用主義、プラグマティズム発想で教育が行われ、日本式の教育は封建的と決めつけられてしまった。

典型は「性教育」に現れている、小学校の恩師に言わせれば「快楽」だけ教える片手間な教育となったと。

 

運用面で「悪い面」だけが大きく取り上げ、「いい効果・結果」につながる側面は一切、人権を盾にして無視されています。

このまま、制裁なき教育を続ければ現場の教師は責任ある職務を遂行する思いはそがれるのは間違いありません。

一日も早く、制裁の必要性に教育界は気づかなければ義務教育は破綻しますよ。

「・・・しかし、研究班の赤間校長によると、生徒の挑発行為に対して経験の浅い若手教諭が対応できていないことが目立つ。さらに、こうした教諭の指導力不足が生徒のさらなる挑発行為を招く悪循環もあるという。

市立中学校では若手とされる35歳以下の教諭が3割を占め、今後もベテラン層が減っていく。赤間校長は学校現場の行く末をこう案じた。

「挑発には毅然(きぜん)とした態度で臨み、間違いを正さないといけない。しかし、このままでは、若手の教諭が問題のある生徒に対して『触らぬ神にたたりなし』と関わりを避けるようになっていくのではないか・・・」とインターネット記事は結論付けている。

 

 

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