昭和レトロ–映画「風流交番日記」を観て–

いつもながら、何か面白い番組はないかとチャンネルを回していると、この映画番組が目に止まりました。 新東宝、制作が昭和30年とあり、私の子供の頃、懐かしさと当時の風景、風俗が見られるとの思いから鑑賞することに。 この頃警官を扱った映画がよく作られたのでしょうか。 「警察日記」もその頃です。

それと題名は忘れましたが、記憶にあるのが「名和宏」が出演した映画、確か交番が上野公園そばでロケされていました。 ※ネットで調べると、「若いお巡りさん」と言う映画でした。 名和宏、当時は二枚目で売っていました。

※ 曽根史郎 若いお巡りさん

さて、舞台になるのが新橋の交番、警官と住人の絡みで物語が進んでいきます。 当然のことながら出演が懐かしい俳優ばかりです。 小林桂樹志村喬宇津井健御木本伸介天知茂多々良純加藤大介、女優では安西郷子三原葉子等子供の頃に知った人たちばかり。 それぞれが警官に扮し、役柄が明確になって人柄が際立って演じられます。

小林桂樹扮する和久井巡査、お人好しの役柄、交番荒らしの札付き美人に電車賃貸してと100円取られてしまったり、隣村出身と言って会いに来る娘、今もそうでしょうが地縁だけで面識もない人が親しげに挨拶にくる場面などほのぼのした雰囲気が画面から伝わってきます。 志村喬扮する老警官大坪巡査、旧憲法下の法律で経験を積んだ警官です。 新憲法下ので法律に戸惑っている様子、デモクラシー、民主の時代という言い方が使われていました。 大きく価値観が変わった時代です。 交番のまとめ役の存在を演じていました。一人息子が家出をして心配している父親を演じています。 息子役、天知茂が扮していました。 若いです。 老警官の家での場面に押し売りが登場、歯ブラシ等を強引に売りつけている所へ制服を着て大坪巡査が追っ払います。   押し売り、懐かしいですね。 私の記憶では学生服を着た押し売りが居たと思います。 同情をかって売りつける算段だったと記憶しています。 宇津井健扮する花園巡査、色男でモテモテ役を演じていました。 質屋、蕎麦屋、本屋、旅館の娘などが彼を気にかけ情報などを提供して上げて、 彼の成績アップに協力します。

宇津井健、今でもテレビで若々しく元気な俳優ですね。 70半ばを超えていると思いますが。 「夜の女」を取り締まる場面では、色男の花園巡査の手柄にしようと彼に捕まりたくて夜の女が彼に群がり連行されます。 この取り締まりは馴れ合い的な要素もあったのでしょう、捕まる夜の女も慌てる様子もなく落ち着いてトラックの乗せられ連行されていました。 昭和30年頃、新橋の街を歩くと「夜の女」が声を掛けてくる事が多々あったのでしょうね。 その頃私は飯田町に住んでいましたが、「夜の女」は見たことはないですが、当時近所に黒人の合いの子がいましたので、そんな職業の存在は子供心に知っていました。 「パンパン」と呼称されていました。 菊池章子が歌った「星の流れに」はそんな女性を歌い上げています。

「売春防止法(ばいしゅんぼうしほう、1956年(昭和31年)5月24日法律第118号)とは、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照らして売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする日本の法律である。この法律の制定に伴い1958年(昭和33年)に赤線が廃止された。同法は、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」という基本的視点に立脚している(同条)。」ネットニュースより。

この法律がまだできていない頃、それでも街に立って春をひさぐ行為は違法だったのですね。 戦後、婦人代議士が多く誕生し、「婦人の地位向上」の意味も込めて制定されたと聞いていますが、今では中学生、高校生が小遣い稼ぎの手段としています。当時の婦人代議士、加藤シズエ市川房江等この現状をどう思うのでしょうか?。   多々良純が扮したバタ屋、身の安全と言って交番の脇で寝てしまうのですが、それを見た大坪巡査追い払うわけでもなく許してあげるのです。 寝入ったバタ屋の屑かごに、酔っぱらいから貰ったポケット瓶のウイスキーを入れてあげるのです。 このあたりも当時の人情・風俗をよく表しています。 バタ屋さん、いましたね。 よく見かけました。   戸籍調べの場面もありました。 家々を回って、家族構成などを調べていたと思います。 未然に犯罪を防ぐには役立つのではないでしょうか。 この場面で安西郷子が出てきましたが、綺麗ですね~。 容貌としては日本美人というより洋風な顔立ち。 悪人役で丹波哲郎も出ていました。 若いです。

映画全盛期の頃です。 後々、有名になる俳優、女優の出演があり楽しく鑑賞できました。 夜の女役、三原葉子、新東宝のお色気路線で有名でした。ほかに前田通子三ツ矢歌子万里昌代等が名を連ねその頃が全盛期でした。 大空真弓池内淳子も新東宝に所属していました。

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