7日第一土曜日、休日なので年頭のお参りと思い立ち靖国神社へ。
小学生の頃、都電通学で学校の行き来で毎日のように通った場所、やはり懐かしい。
志村橋から神保町、そして九段上の経路でした。
今は都電は無く、地下鉄九段下まで。
正月三箇日でないが、参拝客が多く見受けられました。
九段坂から見る大鳥居の風景は変わっていません。私の記憶の昭和の風景とあまり変わらない、これが嬉しいです。
田安門前の歩道橋から九段下眺めると、すっかり変わっています。
ただ、九段会館(軍人会館)はそのままだ!
そして武道館、
右上に写っている円筒形の建築物、昔の灯台と聞いた記憶があるが?
お清めして本殿へ。
結構参拝客が大勢いる。
参拝を済ませ、境内を回ってみる。
軍刀を作るための場所、この案内板には大正になると玉鋼が不足してとの記述がありました。
日本刀の製作には欠かせない材料、守るために活動は続いているようです。
世界に誇れる鍛造技術、良い刃物が作れるのはそのお蔭。
土俵がある場所、小学校低学年のころ、奉納相撲をやっている時、陣幕の張られた場所を覗き込んでお相撲さんを観た事があります。
今でも奉納相撲を開催されているようです。
軍馬の慰霊碑、両親の故郷・喜界島では馬を飼い、子馬を軍馬用として売っていたようです。
東京裁判の際、日本の無罪を訴えたパール博士の碑の前で自撮り。
遊就館へ、入ればゼロ戦が展示されている、やはり撮影したくなる。
この後、休み処で熱燗を飲んで一休み、そして帰りは昔の通学路を辿りました。
5年間通った富士見小学校、すっかり変わっていますが、歩道脇に昔ながら石垣が残っています。
案内板にこのあたり江戸時代旗本屋敷があった場所と記してありました。
お城の側です。出仕するには近くて便利です。
当時からの床屋さんが営業していた。間違いなく60年以上を経っている。この近辺はビルが建ちすっかり様子が変わっていますが。
そして東京大神宮へと足をすすめましたが、参拝客が列をなしていた。
人気の神社だね。当時その裏に通った同仁幼稚園があり、境内で遊んだことがありますが、
そこには今は会館が建っています。
縁結びに御利益があると聞いている。
三箇日が過ぎたというのにこの混雑、同級生の金物屋があった通りです。
地下鉄飯田橋駅へつながる通りにも参拝客の列が、良縁が授かりますように!
そして牛込橋へ向かうと、JR飯田橋駅西口が移転されていた。
時代ともに風景は変わるのは仕方がないが、ちょっとさびしい。
私の家は東口の側にありました。今から60年以上前の事。
また来て、近辺を散策しようと思う。
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