ドキュメンタリー 「宿命のライバル対決 柔道 日本対フランス」の番組を観て。

1/11日、夜NHKBS1の番組でした。

フランスと日本の柔道の交流の歴史を取り上げながら、フランスが本家日本柔道を凌駕するまでの経緯を報道していました。

フランスは、戦前から柔道が普及し始めたようです。

注>川石酒造之助(1899-1969)は日本で四段を取得した後、将来政治家になることを志し、1926年アメリカに留学。アメリカやイギリスで柔道を指導し、1935年にフランスに移住し、日仏柔道クラブを創立。川石方式という外国人に対する柔道教授法を考案し、技術だけでなく柔道精神をも指導していく。川石の弟子達(フランス人)はこの川石方式を用いてフランス国内だけでなく諸外国で柔道を広めたという。 ネット記事より引用。

 

学ぶ人たち、インテリ層に多く教養を身に付ける手段と考えていたようで、武士道精神を学び心の鍛錬を重んじていたようです。

新渡戸稲造が書いた「武士道」から精神を学んでいたことを伺わせます。

 

フランスに広く普及する礎は戦後が始まりで、

黒帯を取得した柔道家が競って教室を開き普及したようでした。

私、多少なりとも合気道をやっていたので、その普及されていく過程は本などから知識を得ていました。

戦後、普及に尽力された方の1人に望月稔氏がいます、戦前嘉納治五郎の指示で植芝盛平翁に師事し合気道も修業されていました。

「日本傳柔術」なる技術書を出されています。

静岡を拠点に養正館道場を開きフランスの警察も指導。

 

フランスに行って普及活動をしたのが時期的には昭和20年代です。

合気道も同じ頃、合気道家阿部正氏がフランスに渡り普及に努めています。

この方、数々の武勇伝を残しています。

合気道は戦後、植芝盛平翁直弟子の方々が世界各地に渡り普及に努めていた頃です。

剣道もそうですが、ヨーロッパでは日本の武道、およびその精神が正しく受け入れられている様です。

その逸話として、1970年(昭和45年)に第一回の世界剣道選手権大会に参加したヨーロッパ圏の団長2、3の人が当時剣道連盟の木村会長に語った言葉で知ることが出来ます。

「・・・・私たちは日本の若い選手たちと勝敗を争って、選手権をとろうなどとは考えてはいない。本当の剣道を学ぶことによって、日本の古武士のような風格を身に付けたいためにやるのだ。」 「剣と禅」著者大森曹玄より。

これを聞いた木村会長は、非常なショックを受けたという。

当時スポーツ化してきた剣道を外人は修養のために学ぶと言うのだからショックを受けたのでしょう。

私もこの記述を読んで反省させられる面がありました。

 

柔道がフランスで盛んになるのも、実用面で身を守る護身術、修養面でも武士道精神を身に付けることを心がけているのでしょう。

これなどは合気道でも同じ事が起きています。

ブログで取り上げましたが、コロンナータと言うイタリアにある小さな村の合気道道場でも合気道開祖の哲理を学び稽古に励んでいる人たちがいるのです。

 

そんな国柄のフランスですから、柔道も日本に追いつき追い越せと目指したのでしょう。

1970年代頃は未だ日本柔道家には太刀打ちできず、選抜されたフランス選手が天理大学に修業に来て技を磨くシーンが紹介されていました。

そのシーン痛々しいほどで、怪我をしながらも日本の選手相手に稽古していました。

松葉杖を使わなければならないほどの負傷ですが、強くなりたい一心で克服しています。

当時の大学柔道部、それは激しい稽古をしていたようです。

新年の挨拶に来た方が私の大学の後輩で体育会柔道部に所属していたので、その番組を見た感想を話したら夏合宿の稽古の体験談を話してくれました 。

例として、ブリッジの稽古で頭が擦り剥け化膿し、脇を締め引きを強くするための稽古で匍匐前進みたいに両肘を使うのでやはり擦り剥け化膿したと。

毎日落とされ失神するのは当たり前、殴られ蹴られも当たり前と言っていました。

ですから、ケンカの方が楽とも言っていました。

天理大学で稽古された方がインタビューで語っていたのが、山下泰裕選手当時高校生だった彼に全く歯が立たなかったと。

しかし、力は接近してきました。その例が、シドニーオリンピック100㌔超級決勝戦、篠原vsダビド・ドゥイエです。

誤審と騒がれ日本では大騒ぎでしたが、結局ドゥイエの勝利。

重量級で本家日本が敗北、ある意味象徴的な出来事でした。

過去にも、東京オリンピック無差別級でも神永がヘーシンクに敗れたことがありましたが、まだまだ柔道は本家の面目を保っていました。ヘーシンクが言ってましたがこの時日本が勝っていれば地域性の高い競技としてオリンピック競技から除外されたろうと。

しかし、時はながれ広く世界に普及し講道館柔道がJUDOになり、変質していきました。

「小よく大を制す」を体現した柔道家岡野功氏が言っていましたがこれからはフランスが主体となってJUDOを引っ張るだろうと。

競技人口は増えているそうです。

フランス80万人、翻って、日本では20万人、指導者の数も減っているとの事。

彼がそういうのは当然かもしれません。

こんな話をすると後輩が言っていました。

ルールの変化、「技有り、一本」の判定しかなった事が、「効果、有効」の二つが増えてレスリングみたいになり、

生活様式が変化して座ることが少なくなった日本人、短足胴長でその利点が生きていた昔と違い体躯も西洋化してしまい腰高な日本人、体力的に勝る西洋人には勝てなくなるだろうと。

それが100㌔超級で勝てなくなった理由なのでしょうか。

私の合気道師範がどのくらい前だったか、合気道もこれからは本物は外人から教わるようになるだろうと言った言葉を思い出しました。

合気道の稽古に取り組む外人の姿勢がそのように思わせたのでしょうか。

フランスと日本の違いを一言でいえば「※鍛錬」と言う意味の理解度とその大切さの認識でしょう。

※鍛錬  金属を打ってきたえること。
     2 きびしい訓練や修養を積んで、技芸や心身を強くきたえること。「精神を―する」

 

フランス人、「鍛錬」真の理解があればこそ競技人口が増えているのでしょう。

昨今の日本人は快楽主義に流れ過ぎ。

今の日本人が武道から学ぶことを忘れ、古臭いものと思うようになっているのかもしれません。

残念です。

参考資料

kennto zenn.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントが 2件あります

  1. シンさんより2012年2月3日10:24 PM

    古来から日本人は、外国からどんな文化や思想が入り込んで来ようとも、日本人らしさを失わずにそれらを取り込み、惑わされず、発展してきました。
    武道の精神から来る他人を思いやる道徳、命賭けで国を守った不屈の精神など、先人の努力を無にしてはなりません。
    この精神が受け継がれることを願うばかりです。

  2. 上野2012年2月4日10:18 AM

    シンさん!
    仰る通りです。
    「武道」が世界に受け入れられる理由はその精神性が真理だからだと思います。
    殺傷の技術を修養の手段に変えられたのも連綿と育まれた神道の精神文化があったからです。
    長い歴史、伝統が継続されている日本だからこそできること。
    日本民族の特徴でしょう。

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