この本の購入動機、本題のタイトル「それでもこの世は悪くなかった」から、著者の前向きな姿勢が読み取れたこと、そして私のおふくろと同い年だったこと。
作家とは存じ上げて、何度かテレビで放談的な番組で彼女を知りました。
書かれた小説は申し訳ないが読んではいません。
しかし、この本のタイトルから戦前、戦中、戦後と生き抜いた経験談は面白そうだと思えたのです。
母親同様、戦前の生き方、道徳観の同じ価値観を持った世代。
どんな人生観が書かれているかなどを視点に読んでみました。
お兄さんはあの有名なサトウハチロー氏。
読み始めると、難解な言葉がなくスラスラと面白く読めました。
第一章冒頭に、 「私を作った言葉」のページがありました。
13項目の言葉が挙げられていました。
それぞれの言葉がどんな影響があったかと経験談風に書かれていました。
その一つ、「どうしてもせんならんということが、世の中にはおますのやで」
幼少の頃「ばあや」に言われた言葉。
何故かと言うと、彼女、末っ子、そして父親が50歳の時に生れたので、孫のような扱い、そのせいで我がままし放題に育てられたようです。
小学校の時、学校に行くのは嫌だと駄々をこねて、今でいう登校拒否状態、それでばあやが諭した言葉。
「・・・本当にわがまま一杯で、したくないことは何でもしなくていい、そんなお嬢ちゃんでも今だから許されているのであって、どうしてもしなくてはならないことがあるんですよ。そういう意味ですね。
私はその一言で「なるほどそうか」と思いました。わりと賢い子どもだったんですね。自分でそう思いますよ。それで小学校へ行くようになりました。行ったらいろいろ辛いことがあります。でも、『大人になったら辛いことがいろいろあるんだよ』というばあやのことばがありますから、しょうがないわ、と我慢しているうちに慣れていったんです。考えてみれば、これは私の人生で最初に与えられた教訓だったんじゃないかと思います。・・・」
この記述からやはり、後に作家になれる素地があったように思います。
状況から判断して、どうあるべきかなど斟酌する能力があるのですから。
「わりと賢い子」と彼女が回想していますが、小学校時代の私を省みるとそんな言葉があるかと想起すると教訓的な言葉は浮かんできません。
小学校は遊べる楽しかった場所、辛い事はなかったですね。
著者のいろいろ辛い事はなんなのかな?
敢えて「私を作った言葉」としてあげるとすれば、観かた、考えた方に影響を与えた言葉、いつの頃かは定かでないですが恐らく小学校の低学年の頃と思われます。
戦後、アメリカに占領されていた時代か、その後の頃か「坊や、マッカーサーは日本人の勇気と団結心を恐れて占領政策で弱くしようとしている」と大人から言われたこの一言が心の残り、その観点から歴史、戦前戦後の違いに関心を抱くようになり、現在まで続いています。
誰にでもそのような「私を作った言葉」があるのでは、一度振り返ってその言葉を探すことも意義ある事と思います。
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