2013.1.15 ネットニュース記事に
「 ヤンキー先生こと義家弘介文科省政務官(右)が大阪市役所を訪れ、永井教育長(左)や同校の佐藤校長(左から2人目)らと会談した =15日午前、大阪市役所(渡守麻衣撮影)
大阪市立桜宮高校(都島区)の男子バスケットボール部主将だった2年の男子生徒=当時(17)=が男性顧問(47)の体罰を受けた後に自殺した問題で、「ヤンキー先生」として知られる義家弘介文部科学政務官は15日午前、大阪市役所を訪れ、市教委の永井哲郎教育長や佐藤芳弘校長らと面会した。自殺の経緯について聞き取りを行い、部活動指導における体罰の定義について見直す考えを示唆した。
義家政務官は自殺前の生徒の様子や、前後の事実経過について確認。教育行政のあり方などについて意見交換を行った上で、今後、文科省との連携を緊密にしていくことで合意した。
会談後、記者団の取材に応じた義家政務官は「これは体罰ではなく日常的、継続的に行われた暴力で、事案を矮小化(わいしょうか)すべきではない」と強調。「体罰と指導の線引きについては今後、議論が必要」と述べ、部活動の指導における体罰の定義を見直す必要性について言及した。・・・」。
自殺した高校生、数十発殴られたとか。
体罰と言う経験、小学校の時細い竹棒でパッしと叩かれ、中学では授業中、先生来ずその間教室で騒いでいて10人くらいビンタで叩かれたこと位ですか。
※追記2/1
付け加えておきます。子供の頃、親の言うことを聞かず、躾のために物差し、布団叩きなどで折檻されたことがありました。
自分に非もあったので仕方ないかと納得しました。
バスケットボール部に所属し、
「・・・試合で生徒がミスを繰り返したことなどから、顧問がタイムアウトを取り、「しっかりせえ。ルーズボール(こぼれ球)にもっといけ!」と、副顧問が見ている間近で生徒の頬を数発平手打ちしたという。「パーン」という大きな音で振り返った技術指導担当教員は顧問がさらに平手打ちするのを目撃したが、2人とも顧問を止めず、・・・」
試合中に平手打ちをくらっていますが、このケースだと気合を入れるためと理解できますが、
数十発はちょっと考えさせられます。
この辺りが「体罰と指導の線引き」として取り上げられるのでしょう。
顧問の先生は強いチームにしたいと言う願望から気合を入れる為にビンタを使用していたのでしょうが、ニュースから判断すると体罰が常態化して、暴力的になっていたようにも思われます。
私も大学時代、合気道部に所属して厳しいシゴキと言われる稽古をさせられましたが武術という範疇で強くなるためにはと我慢でした。基礎体力をつける錬筋と称して腹筋、背筋。腕立て伏せ、スクワットなど全部で千回以上こなしそれから合気道技の稽古に入る手順でした。
腕立て伏せは合気道独特のもので掌を返し手の甲で腕立て伏せでした。
下級生の頃は本稽古に入ると、構えに隙があると主将だった先輩から当身を食らうことも、これも稽古の一環ですから苦しくても我慢です。隙を見せた私の不始末ですからね。
体罰的なものは、通常より太い竹刀で背中を何発も叩かれた経験が、しかし運動部、不満に思っても覚悟して入部している以上耐えるしかありません。
当時の武道関係の稽古は厳しいのが当たり前と相場が決まっていましたから、やめると恥だという思いをもっていました。
この高校、その顧問の先生は悪くないと言う、父兄、生徒もいるようです。
それだけの成績を収め成功している面を評価しているのです。
昔は相撲社会では兄弟子が無理篇に拳骨と言われるくらい鉄拳制裁は当たりまえでした。
しかし、時太山の死亡事故からマスコミで叩かれ、相撲界でも改革に取り組んでいました。
クラブ活動における体罰もそんな流れで見直しは迫られるでしょうね。
指導者、体罰の運用には指導的意味合いで行われるべきのもの、今回の事件確かに体罰というより暴力となっていました。
指導側の問題として検討されるものだと感じます。
ただ言えること、強くなるためには厳しい環境が求められます。
弛んでいれば、気合を入れる、自覚を促すには体罰もと考えます。
最近テレビで観たアメリカの海軍式ブートキャンプ、グレた子供を更生させる施設、すべて軍隊式訓練、氷水に入れさせるなどそれは厳しい鍛錬でした。
肉体的苦痛を耐えるところに意味があるのです。
私の経験ですが、大学2年の時神道の修行場へ、集中心、修行内容が悪いと背中、太腿を平手で叩かれ自覚を促された経験があります。
3泊4日の修行でした。一日8回1時間ほど正座して祝詞を上げながら鈴を振る、やはり肉体的な苦痛は伴います。
3人ほど足の痺れに耐えられずやめたくらいです。
ですから苦痛を与える体罰が悪いのでなく、運用法に問題があったと思います。
社長、ご無沙汰しております。
遅ればせながら、本年もよろしくお願いします。
「愛の鞭」は本人の納得性がなければ単なる暴力ですよね。
また、その納得性を得る為には普段からの意思疎通が不可欠だと思います。
おそらくこの生徒と顧問は、意思疎通があまり良くなかったのではないかと思います。
キャプテンと顧問という関係でありながら。
こういった意味ではこの顧問は指導者として少し足りなかったのではないか?
また、この学校全体にこういったことを黙認する風潮があったようなこともニュース
で聞きました。これも問題ですよね。
こちらこそ、
よろしくお願いします。
>おそらくこの生徒と顧問は、意思疎通があまり良くなかったのではないかと思います。
との記述、私もそう思えます。
当時、部の主将であった先輩、真面目な人で一途に「強くさせる」の一点で指導していたように思います。
○ 何故、厳しい稽古を課すか。
○ 創部間もない合気道部の存在をクラブ活動でどうを示すか。
※ 新興武道であるため認知度が低いことも理由でした。
○ 武術である以上厳しいのが当たり前。
など、折に触れ指導者としての意志を話してくれていました。
回し稽古(嫌な稽古ですが)など、今までやらなかった稽古法を取り入れ厳しさも相まって同期の面々、帰途バスの中で先輩の悪口で鬱憤ばらし、今となっては懐かしい思い出となりました。
主将であった先輩とは今でもお付き合い、いいものです。
母親、膝が擦り剥け血だらけの道着を洗濯する際どんな思いしたか聞いたことはありませんが、厳しさに耐えるのは当たり前と考えていたのでは。
強くなる、うまくなるは肉体的負荷に耐えて達成できるもの、
指導者は練習、稽古などに工夫を加え、時には「愛の鞭」で自覚を促す事も必要でしょう。
どう使うかは指導者の才量と考えます。
東京オリンピック、金メダル日紡貝塚バレー、大松監督の練習風景を映画で見たことがありますが、それはそれは凄いものでした。
怒号、そして絶え間のないレシーブ練習、彼女らはそれに立ち向かう闘志に溢れていました。
同じ価値観が共有されていたのでしょう。
金メダルを獲るの一点で。
こんばんは。
私は体罰はOKだと考えます。
自殺してしまった生徒は、先生が思うほど強い精神力ではなく、悩み事が言えたり、ある程度の成果があっても認めてもらえる環境ではなかったように感じます。
「2-6-2の法則」の6に相当する生徒かと。
「コーチング」で言う、2-6-2のそれぞれのタイプで指導方法を変える必要があるところ、先生の一方的に近い状態であったように思います。
こんにちは、
シンさん、またのコメント有難うございます。
「2-6-2の法則」の6に相当する生徒かと。
そのような見方もありますかね。
顧問の先生、記事によれば、
>顧問は体育系の大学を卒業後、平成6年4月に保健体育科教諭として採用され、同校のバスケ部顧問に就任した。平成15年以降、全国高校総体(インターハイ)に4度、同部を導き、新人大会中央大会(大阪府大会)でも20、21、23年度に優勝している。
と立派な成果を上げていますね。
指導方法、就任以来同じように継続していたようです。
そして今回の事件、「6」のタイプの生徒にその任を託したのが間違い、もしくはシンさんが言うように接し方を変える必要があったかもしれません。
しかし、長い間続け成果を上げていたために指導方法に確信を持っていたのでしょう。
それが落し穴になってしまったようです。
「叱られ役」が精神的負担になっていたことに気付けなかったのでしょう。
ただ、「愛の鞭」、「引き締め」にしては数十発は行き過ぎかも。
自信が過剰な結果を生んだのでしょうか?
>保護者の1人は「下級生は決してたたかず、上級生をたたいていた。気合をいれるためだと理解している」と話す。
と記事にもありました。
こんな記事も、
>「体罰をありがたがっている卒業生もいるようだが、それは、私は、人格をゆがめて卒業してしまっているのだと思う」と厳しい見方を示す。
とありますが、この意見の述べた方、ちょっと偏向しすぎと思います。
体罰が人格をゆがめるとありますが、例えば禅の修行には体罰があります。
宗教の修行でも認知されています。人格をゆがめるとは短絡的です。
運動部、神道修行等の経験をした私としてみれば「体罰は良くない」とは言い切れない面を感じます。
今までの「叱られ役」同じように数十発のビンタを喰らっていたか知りたいところ。
私は去年の日本シリーズかクライマックスシリーズで巨人の阿部慎之助捕
手がマウンドに立沢村投手のところへ向かい、いきなり平手で澤村の頭を
叩きました。これは、体罰でしょうか?私は、そうは思いません。澤村の
ボーンヘッドだからです。2塁に相手のランナーが離塁しているのを安部
が牽制球で射すようにサインを送ったのを澤村が見落としたからです。こ
れは手痛い敗北に繋がっていれば大変です。勝負というものは、時として
残酷です。のどが渇いたからと言ってピッチャーズマウンドをおりるわけ
にはいきません!つまり「我慢」と言うことです。これは、武道の稽古で
は良く「きつくなってからが稽古である」というのと同様です。きついと
きこそ気合いを入れて自身を鼓舞するのです。問題の教師は、自殺した生
徒は主将であるということに関して、自覚を促したかったのでしょう。冒
頭で申しましたが、自軍が敗北に繋がれば、主将は責任を問われます。で
すから余計に強豪校故に、教師は神経をとがらせていたのでしょう。最近
の若者は、打たれ弱いです。少しクレームをつけると「脅迫された」とか
「暴力だ」と開き直ります。強くなりたければ稽古しろ!ということで
す。大学の空手部の指導員を蹴り殺した学生もしかりです!貴様は誰のお
かげで、生きていられるのか!と怒鳴りつけてやりたい衝動にかられまし
た。しかし同時に、この学生もまた被害者です。別にプロを目指していた
わけでもない・・・。ただの同好会気分なのに、OB指導員による顔面攻
撃をせよ!との注文に苛立ちを覚えるのも無理はないです。ひとえに、
「ジェネレーションギャップ」です!この世代間の見解の違いがある内
は、このような悲劇は繰り返されるとおもいます。私も、空手やキックを
修行しています。キックボクシングのスパーリングで顔面にパンチが入る
とグシャ!という音が聞こえます。何事も経験ですが、体罰と指導は似て
非なるもの・・・。亡くなられた生徒の冥福を祈ります。
以上長いですが、私の見解です。悪しからずご理解下さい。
新人類さん、
コメント有難うございます。
3通もコメントが寄せられること、関心の高さが伺えます。
元プロ野球、桑田真澄、元プロボクサー井岡弘樹さんらが見解を述べていますね。
桑田氏、中学時代から上級生に鉄拳制裁を受けたことで体罰否定、井岡氏、トレーナーであったエディ・タウンゼント氏の影響からか「ボクはハートで教えるタイプよ」の考え、しかし世
界戦の時、サラス・トレーナーから不甲斐ない戦いをして平手を喰らい目覚めた体験から、「気合を入れるために手をあげることが、これからないとはいえない。」とも語っていました。
会社の朝のミーティングでスタッフが友人の中学時代の剣道部の部活について触れ、
厳しい稽古のため部員がストライキ、厳しい稽古をやめさせたのですが、だらだらとなって弱くなり、再び指導者に厳しくと頼んだと言う話。
自主的に行う活動の難しさ、やはり引き締めは必要だと思わせる事例。
そこをどうやるかが指導者の器量、技量なのでしょう。
「ジェネレーションギャップ」はどうしてもなくならいのでは、ただ言えることは俳諧の世界に「不易流行」なる言葉があります。流用し「時代が変わっても変えてはならないもの、時代に即して変えるべきものがある」という意味で使われます。
ですから、「能力を高める活動」には「ぬるま湯」は御法度と思いますが。
大変ご無沙汰しております。小ハセガワです。
最近では、全日本女子柔道の監督の″体罰″が問題となっていますね。。。
私も大学の部活動で経験済み(被害/加害?)ですから、表現が難しい点はありますが、、、
例え殴られたとしても受けた側が″納得″のいく場合であれば、自らの命を絶つことも無いし、訴え出る様なこともしないと思います。
勿論、受ける側も各個人差が有るので、その都度方法を変えることや、その後のケア等は当然必要でしょうが。
最終的には、上記コメントでご指摘されています「指導者の器量・技量」に依るのではないかと。
小ハセガワさん、
ご無沙汰ですね。
お元気ですか?
コメント有難うございます。
「体罰問題」メディアで大きく取り上げられて、関心の高まりを感じています。
ここに来て日本女子柔道・監督の体罰/暴力が出てきました。
経験した者として、一概に「悪」と決め付けることに躊躇しますが、女子柔道内部の告発がJOCに取り上げられ国際的にも批判を浴びる結果となってしまいました。
告発の真の狙いは柔道界の体質批判ともニュースで報じていました。
ここまで来ると、学生スポーツ界など全般的に指導体制の見直しをしないと収まりがつかない状況ですね。
価値観が大きく変化している証と思います。
ただ、時代が変わってっも、稽古、練習、鍛錬など肉体的負荷を乗り超えられる精神力は求められる事には変わらないのでは。