居合の稽古を再開して約6年が過ぎました。
週1回程度の稽古ですが、呼吸、息について関心が高まりました。
後期高齢者に属する私、若い時ほどの体力はなく、病歴では開腹手術を3回している体、そんな体を押して稽古していると息切れしやすくなっている状態を知らされます。
一つには、ヘビースモーカーの報いもあります。
それはそれとして、このような体でも呼吸、息の有り様を改善できるのではないかと思い、昔購入していた本「剣と禅」を引っ張り出して読んで見ることにしました。
13章に呼吸と姿勢――――心・息・身の一致と剣がありました。
そこに、
「平生ひそかに剣法を修行していたものは、戦場で働く場合に息切れしないという利点があることが、だんだんと一般的に知られてきた。‥‥中略‥‥戦場を縦横無尽に駆け回っても呼吸が乱れないということは、武士にとって大きな魅力であったに違いない。・・・」
それが、「武士達が息が切れないことから呼吸の大事に気付くと、やがて剣法の重要な修養過程として調息の修行をその中にとりいれることに思い至るのは当然である。‥‥」
閑話休題、
大学時代合気道部で稽古していた時、稽古仲間から呼吸法を学べるからと「一九会」山岡鉄舟の流れをくむ古神道の道場で初学の修行に参加したこともありました。
当時、良くわからないにしても、呼吸の大事と理解しましていたのでしょう。
方法は、息を長く細く吸い、同じように吐いて、吐ききりために腹に力込め「はっ」と邪気を吐き出しまたゆっくりと吸うのを繰り返すのです。
指導された館長さん、吸う吐くの時間が長く一分近く時間をかけていました。
これは意外と難しかったと記憶しています。20歳頃の経験でした。
山岡鉄舟も禅を良くしたようです。
「このことは修行者の量的な増加という面よりも、その質的な向上、つまり呼吸の整正が、はからずも剣の術から道へと登高させた面において高く評価されなけらばならないと思う。」
著者、大森曹玄師は言う。
著者、僧籍入り禅を修行し、その働きが実感でき且つ会得したのでしょう。
本人は剣術、直心影流を修行されています。
私が近所の道場(智道館)に入門した頃、購入した「夢想神伝流」著者 山蔦重吉師が呼吸について指南している記述は、「業を行う前に三呼吸し、業が終わるまでには息をせず、終わるとともに吐く」とあり、これ以上の説明はありません。
しかし、この単純な動作を繰り返すことに意義があると理解し稽古の際はしっかりとやるように心がけています。
この章の末尾に著者は次のように述べています。
「先師(山田次郎吉)も『日本剣道史』に述べているように、榊原健吉、山岡鉄舟を殿後(最後)の二名人として、日本固有の剣法は一応幕は閉じたと見るべきであろう。
健康法ないし競技法としての、いわゆるスポーツ剣道にも、それはそれとしての在り方があろうけれど、本書のように禅と表裏一体的関係において見る剣禅一如の立場からは、一応対象の外とする方がよいと考え、本書はどこまでも剣法を生死決定の道として論じたわけである。」
この記述を読んで著者の見解は理解できます。
しかし、今や合気道、居合道が世界に広く普及している現象を見るにつけ、外国人がどの程度このような意義を理解できるかは別として、世界に冠たる文化としての日本の財産と思います。
合気道の稽古を離れて久しいですが、今や老骨に鞭打ち居合に関心が行く自分を見るにつけ、著者の言う「剣法を生死決定の道」との言葉の包括されている部分は、理解程度は人により様々であろうが、先人たちが争いの技術から「道」として進化させたことを日本人として誇りに感じるこの頃です。








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