あなたは「三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地バルコニー演説」を知っていますか?

あの日、昭和45年11月25日、渋谷(勤務地)でこのニュースを聞きました。

ウキペディアより。

この時の三島由紀夫の取った行動には驚きましたし、この演説中の自衛隊の野次、怒号で言葉はよく聞き取れなかったと記憶しています。
この後、三島は割腹自殺を行います。
週刊誌フライデー三島の生首が載っていたことを思い出します。

何故、この挙に及んだか、私は理解しえなかったです。
今は戦後教育のせいだと自覚しています。
戦後において、彼は進歩的文化人呼ばれる左翼気取り作家とは一味違っていました。
当時、私の認識と言えば、作家と言うより、文壇では珍しく武道(剣道・居合)をたしなみ、そして体を鍛えているボディービルダーとの印象が強かったです。
小説では「金閣寺」くらいしか知らず、大映で市川雷蔵主演で映画化された程度でした。 また、「人斬り」という映画では薩摩藩士 刺客田中新兵衛役で出演しています。
そして民兵組織「楯の会」を設立させました。

大学生の時、昭和42,3年頃 有楽町日比谷映画館の前で偶然会っています。
心の中で「あっ三島由紀夫だ」と叫んでいました。
また昭和44年、全共闘と東大講堂で討論している、当時異色な作家と映り、学生運動が荒れ狂う中、私は彼らを学園から排除しようと運動していた経験もあり彼の行動に共鳴したものです。

そんな経験から次の本を見つけすぐに買い求めたした。
今から15年前になります。
ここに記載されていた「演説」を読み、彼の主張が尤もと思える自分がいました。
それを読み返すと彼の「憂い」がよくわかります。
この本より抜粋、(フジテレビ報道局の録音から転写された文書)
「・・・・・自民党というものはだ、
自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモ鎮圧できるという自信を持ったからだ。
治安出動はいらなくなったんだ。
治安出動はいらなくなったんだ。
治安出動はいらなくなったので、すでに憲法改正が不可能になったのだ。
わかるかこの理屈かァ。(分らんぞ、何を言ってる。------のヤジ)
諸君は、去年の10・11(※昭和44年10月11日の国際反戦デー闘争)からあと、
諸君は、去年の10・11からあとだ。
もはや、憲法を守る軍隊になってしまったんだ。
自衛隊が20年間、血と涙で待った憲法改正というものが、機会がないんだよ。
もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。それは。どうしてそれにきがついてくれなかったんだ。
去年の10・11から1年間、俺は自衛隊が怒るのを待っていた。
もう、これで憲法改正のチャンスはない。
自衛隊が国軍になる日はない。※1建軍の本義はない。
それを私は最もなげいていたんだ。
自衛隊にとって※1建軍の本義とは、なんだ。
日本を守ること。
日本を守ることとはなんだ。
日本を守ることは、※2天皇を中心とする歴史と文化と伝統を守ることだ。
(ヤジが猛然としてくる)‥‥略‥‥

「※1三島は、国の基本的事項である防衛を最重要問題と捉え、「日本国軍」の創立を唱えながら、「一定の領土内に一定の国民を包括する現実の態様」である国家という「一定空間の物理的保障」を守るには軍事力しかなく、もしもその際に外国の軍事力(核兵器その他)を借りるとしても、「決して外国の軍事力は、他国の時間的国家の態様を守るものではない」とし、※3日米安保に安住することのない日本の自主防衛を訴えている。三島は1969年(昭和44年)の国際反戦デーの左翼デモの際に自衛隊治安出動が行われなかったことに関連し、※4「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう」と説いており、その時々の「政体」を守る警察と、永久不変の日本の「国体」を守る国軍の違いについて言及している。」出典ネット記事。
※1 建軍の本義
※2 ブログでも取り上げた「皇室の存続」
※3 現在、日本はトランプ政権によりただ乗りはNOと衝きつけられている。
※4 演説の冒頭連呼した内容がそれにあたる。「治安出動はいらなくなったんだ。」

※1私は、当時三島由紀夫が自衛隊員に決起を呼び掛けた理由がそこ(建軍の本義)にあると結びつかなかった。これなどは平和教育、平和憲法のせいで国際社会の常識から逸脱しているのに。
今日本、ウクライナ/ロシアの戦争を見て現実を知らしめる教材になっているのではないか。
55年前に三島が訴えたことが当たり前の事なのに、演説では自衛隊員はヤジを飛ばしている。
当時の日本人の常識だったのでしょう。

※2これに至っては、戦前と真逆な教育となりその意義すら教化しなくなり日本独特の伝統文化・歴史が日本人(大和民族)国体護持の中心にあるものとわからなくなった。
友人でも男系/女系どっちでもいいというし娘も同様です。
私は自身の経験(目白通りで御料車に乗る陛下が道路脇に立っている私に手を挙げてくれた)で昭和天皇が子供の頃から好きになり以降関心があり大学時代教養課程の授業で蔵並先生(当時の日大教授)から今の天皇は何代目かと問われ、即座に挙手し(100名以上の生徒でただ一人)124代と答えて珍しがられたこともありました。
大学時代合気道を習い開祖植芝盛平の講話テープを聞き古事記・日本書紀に関心が行き「中朝事実」山鹿素行が著した本を読み皇室の大切さを知ったことも、三島由紀夫の主張に賛意出来るのです。

※3 国際社会の常識で日本は今まで異常でそれを主張する政党が認められる日本社会であり、三島が心配するように日本が消える。
亡くなった伯母の言葉が思い出されます。「ヨーロッパで安定している国は王室がある」と教えてくれた言葉を。
そう思うと革命で王室をなくしたフランス、パリオリンピックはひどかった、いづれ国が壊れるのではと思わせるほど運営に綻びを感じた?

※4 日本がだれかれと移民を受け入れ、扇動者が現れて収拾がつかない事態が発生した時どうする。
スパイ防止法も成立させられない現状を国民をどうみているのだろう。
あまりにも国際常識からかけ離れていると思わないのだろうか。

三島由紀夫が命を掛けて訴えた事を理解できないまま55年、演説の最後の言葉を締めくくりとします。

「・‥‥それでも男かあッ。
それでも武士かあッ。
まだ諸君は、憲法改正のために立ち上がらないということに、みきわめがついた。
これで、俺は自衛隊に対する夢はなくなったんだ。‥‥

この時のヤジ「おりろ」「なんであんなものをのさばらせているんだ」「おろせこんなもの」」

自衛隊員が私同様三島の思いを当時理解できなかった。
55年後の今の日本をどう思いますか?‥‥‥‥‥

 

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