11月30日、大学の部のOBの集まりが川崎でありました。
毎年、行われているのですが、今回は川崎大師へ寄ってみようと思い立ち行ってきました。
品川で京急に乗り換え、京急川崎までそして京急大師線に乗車、10分ほどで着いたと思います。
川崎大師、よく耳にしていましたが、詣でるのは初めてです。
駅を降り、踏切を渡り参道の入り口へ。
時間的には3時半ごろ、人通りは少なくまばらでした。
この門をくぐり川崎大師へ向かう。
徒歩で5分ほどでしたか、入り口と示す看板を目にし右折すると、参道の商店通り、名物のトントコ、トントコと飴を切る作業をしている飴やさんがありました。
テレビで観た事を思い出しこれがそうだと!
大門が、コンクリート作りでした。
本堂の前にあった大鉢、なんと呼ぶのか確認しませんでしたが、線香の煙を浴びて無病息災を念じる場所、悪いところに煙をあてて直るご利益がある物。
参拝客が多くありませんでした。
境内では八重の塔が建立中、出来上がった時また来るか!
弘法大師様のお言葉、心身近にあるが心を観る事は難しいと仰っています。
境内に池が、金色の仏像が!
思った以上に広く、そして記念碑が多く置かれていました。
縁起は未確認、
※太神楽師が古くなった鞠や他の道具類に感謝をし、それらを塚に納めて法要をする行事で、
昭和26年菊谷橋熊谷稲荷(台東区)に「まり塚」を建立し納めたのが始まりです。
2年後の昭和28年、現在の川崎大師境内に移転しました。
移転後初の法要では、午前11時より僧侶による読経、午後1時から奉納演芸が開催され、
この様式が現在でも続いています。
囲いには歴代の協会員の名が刻まれており、塚の裏側には太神楽の由来が書かれています。
中に入ると経典がたくさん陳列され、天井には天女の絵がありました。
お釈迦様が悟りを開いた時の様子を描いているとか、悟りを開くと天女に会えると勝手に解釈して出ました。
ちょっと回り道で来たので、ボチボチ川崎の銀柳街へと。
境内を出ると、飴屋が!!店をのぞいて咳止めに効果あると言う飴と、黄な粉飴を買い求め、店主と会話明治初年開業と謳っていた。
店主は4代目とか、140数年は経っている。
老舗だね~。
集まりの時刻までまだ間があるので、冷えた体と時間潰しに蕎麦屋に入りちょっと一杯、看板には明治20年創業とあり飴屋さんと同様の老舗。
店員さんにお銚子一本と注文したらわからないのか持ってこなかったので再度注文、話してみると中国訛り、こんな場所にも中国人が働いているのかと!!
そういえば境内の説明書きにハングル文字が、朝鮮人も観光に来ているのかと半信半疑、そういえば先月鹿児島に行く際に羽田空港の案内板に中国語、韓国語の文字が書いてあったけど、そんなに多くの韓国、中国人の観光客が来ているのかね!?
本当に必要!?
目障りな感じがするけれど。
一合飲んで、体を休めさあー目的の場所へと大師駅前のバスストップから川崎駅までと乗り込みました。
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