読んでいると、ある事に気付いたのです。
キーワード”1300年”、古事記が編纂されて昨年、2012年が1300年にあたり、
今年、伊勢神宮式年遷宮1300年、出雲大社が60年ぶりの遷宮とか。ここから見えてきたのがこの本を読んで”日本”の国名が決められた時期も1300年前、本にはこのような記述「・・・近頃の研究によれば、国号の「日本」は、意外と新しく成立したことが分かってきた。あちこちに前方後円墳を築いた大和朝廷の時代、列島で生活していた人々は、中国から「倭人」といわれており、そのまま国号に使っていた。「倭」国である。まだ推古天皇のころも、まだ「日本」でなかったらしい。「倭」が「日本」に変わった時期は、7世紀後半の天武朝といわれている・・・」とあります。後半といえば670年ころ、天武天皇即位が673年、今から1340年前になります。
この頃、律令国家の完成から平安遷都の時代、国家体制の基盤が形造られた時期なのでしょう。
古事記の編纂が、712年というのもそれなりに理由があるのだと思います。
これには、体制確立のためのイデオロギー改革とあり、次のような記述が、
「・・・この『古事記』が完成された和銅5年(712)という年は、律令体制を完成させようとする藤原不比等が、ほぼ独裁的な力を持つ時であり、この『古事記』も、藤原不比等と表裏一体をなして政治を行った元明天皇の命令によってできたことを考えると、彼らの政権の安定をさせるためのイデオロギーの改変が、そのとき当然行われたと考えられる。・・・」
この記述に説得力を感じるのは、今年行われた式年遷宮の行事、62回目とか国家体制が確立されたからこそ現在に至るまで続いているのだと思う。
それと合わせるように天武天皇の頃定められた国号「日本」がつわかれて、今に至っています。
記紀に記されている神話、それまでに紡いできた歴史の語りがあるからこそ編纂が可能であったと思います。
その3000年の歴史が日本国にあり、戦前まで皇紀として年代を表わしていたのもその歴史観からしてみれば当然、
皇紀は2673年ですね。
写真掲載:参考資料
コメントを残す