何故か、武道、武士道に関わる本に関心が向く性格、子供の頃には豪傑、剣豪などの人物を知る世代、 映画で、東映時代劇を見て育った影響かもしれませんね! 豪傑でいえば三好青海入道、真田十勇士、ほかに忍者猿飛佐助、霧隠才蔵が、 剣豪では塚原卜伝、宮本武蔵、忠義で有名な赤穂四十七士の「忠臣蔵」こと大石内蔵助が思い出されます。
そして新撰組で有名な近藤勇、今は沖田総司、土方歳三が知られているかな? 高校生の時?知った武士の心得が書かれた「葉隠」、「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」などを知り、 武士道を漠然としながらも武士の心得との認識がありました。 また、大学生になると部活で合気道をやっていた影響もあります。
この本の著者、私より一回り上の世代、戦前の風潮も多少なりとも知っている世代です。 とても興味深く読めました。 読んでみて、武道精神、武士道は別物であり根底をなす意義は違うものだと言う事です。 ただ、ともに人格形成が問われるものとして共通性があると思います。 武道精神の根底は、武道修業を通して「人格向上を目指す」、武士道は「仕える精神・心得」となるでしょう。
この本は、時代の変化と共に「仕え方、心得」が変遷していく過程を歴史的に分析して「武士道」を説明しています。 冒頭、第1章、 第1節に「武士」は日本特有の社会階層、「武士道」とは何かと、会話形式で書かれていました。 「これから「武士道」の由来や意義などについて考えてみたいと思います。封建社会が崩壊して1世紀半もたった現在の市民社会の中で、今さらなぜ「武士道」なんぞに焦点をあてるのか、と訝しく思われる方も多いと思います。
しかし「武士道」とは日本独特のモラルであり、新渡戸稲造の言葉を借りれば、「正義の道理」を第一に考えてた生き方なのです。ここで、「武士道」とは主君に対する「忠節」だなどと言わなかったところに、明治人らしさを感じます。それはともかく、「武士道」が「正しいと思われること」あるいは「正義」を実現しようとする行動だとすれば、これは今日でも普遍的価値を持っていると言えるのではないでしょうか。・・・」引用。
この1点に注目して記述が展開されていました。 読んだ感想ですが、貴族階層が衰え、武士階層が政治の中心に上がってきます。 当然ながら、武力による覇権争い、領地分捕りで勢力を伸ばす時代が来たわけです。
そうなると、集団に所属する武士に対してどうあるべきかとの要求が生まれ、 それが心得となり、今でいえば就業規則かな?、そして組織が目指す目的に副う行動が求められます。鎌倉時代、室町時代、戦国時代と変わっていきますが、武士は死を覚悟の闘いが本分、そしてその職務を全うするためには、宗教観などから「死生観」を学び、心構えを構築していく過程で心性の形が生まれてきたのでしょう。 戦国時代が終わり、天下統一された江戸初期と、平和な時代が続く中で「武士道」も変化して行きます。
心構えで言えば、 「甲陽軍艦」武田家2代にわたる様々な記述がなされている本、江戸初期の「武士道」の考え方を知る上では貴重な本と著者は述べています。 「甲陽軍艦」に見る「男道」の一節に、武田家の重臣が集まって相談する場面が紹介されていました。 「理非にかかわらず、喧嘩両成敗ということに異議はありません。御用に立つ有能な人物なら、老若にかかわらず、お互いに堪忍するでしょう。しかし、相手に恥をかかされておめおめ堪忍する程度の者では、それほど御用に立つことはないと考えます。」引用。
要は堪忍ならぬと時は闘うのが本来の武士の道という事。 それが平和になると時代に即した心得と変わっていきます。 例えば気風でいうと、武士、江戸初期には処刑された罪人で試し切りをするのが当たり前でしたが、そのような行為は平和になると廃れて忌避される様になっていきます。 これなど、戦国時代に生き抜いて武士は当然のような行為でした。 がしかし、時代がかわって人を斬る必要もなくなると必要性を感じなくなるのでしょう。
そして、幕末になると新撰組が生まれ、百姓上がりの人達が武士として登用される時代になりました。 新撰組で有名なのは、「局中法度」「 一、士道ニ背キ間敷事(武士道に恥じる行為をしてはならない) がありますが、士道と呼びこの頃は武士道と言っていませんでした。
この本でも書かれていましたが、「武士道」という呼び名、新渡戸稲造が使い、一般的に使われる様になったようです。 新渡戸稲造の著書、「武士道」が影響している様です。 「武士道」が書かれた背景には、西洋人に日本の道徳観を知らしめる必要からと記憶しています、 西洋がキリスト教を道徳規範としているが、日本ではと説明したのが「武士道」でした。
稲造は「武士道は、その生みの親である(武士層という)社会的身分から様々な道筋をたどって流れ出し、庶民大衆の間で酵母として働き、日本人全体に道徳的基準を提供することになった。」引用。 室町、鎌倉時代に書かれた軍記物などが家々で語り継がれ、その心性が脈々と武家社会に心得として残り、身分制度が無くなった維新以降もその習わしがあった。 新渡戸稲造もその一人で、多分に影響されていたことでしょう。
「いやあまたごころ 」というべき大和心として存在しえたのだと思います。 著者が「誤解」という言葉を用いたのは、戦後、その意義が否定され、封建的な考えといわれた時期があり、今でもそんな考えが存在するからなのでしょう。
武士道は「義」を重んじる精神が根底に有るからこそ、著者は今でも十分通用する道徳律と言っているのだと思いました。 時代の流れの中、それぞれの時代で武士の求められる心構えは変化してきましたが、そのもととなる精神は「義」が根底にあるのではと著者は主張していると思いました。
歪曲されたとありますが、それは「葉隠」が当てはまると読んで感じました。 連綿と歴史は育んできている日本だからこそ、育まれ、長い期間にわたって醸成された心性と思います。 世界に普及した武道がそのような精神を知らしめるのに一役を担っているとも感じます。 著者がこの本で「武士道の誤解」と提起した点は、戦後日本人が忘れ、また誤解をしていることを指摘して「武士道」の本質は普遍性のある「義」を重んじたと言ってるのでしょう。 だからこそ、その誤解を解き、戦前に言われた「葉隠」の歪曲された部分を是正してその意義を訴えるために書いたのだと思います。
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