表題の言葉、「皇祖皇宗の御遺訓」を知ったのは、32、3歳の頃、合気道部の先輩の弟さんから貰った「開祖植芝盛平の講話テープ」からでした。
当時は、友人に頼まれて合気道を教え始めた頃、それなりに合気道の理念を学ぼうとの思いから、車中でテープカセットレコーダーから何度も聞き、印象に残った言葉となったのです。他に耳に残った言葉、「布斗麻邇」「魂魄阿吽の呼吸」「言霊学」「記紀の神々の名」などなど、ほかにオリンピックの話も出ていましたので、昭和39年前後に録音されたものと思われます。今はそのテープを紛失してしまいましたが、また聞きたいと思う次第、あれから40年近く経っているので、また新しい気づきがあるのではと感じています。
最近は、先帝昭和天皇陛下が、乃木大将から御学問にとお薦めになった「中朝事実」を読み砕く作業をしています。昼休みの時間、一人のスタッフを巻き込んで、旧漢字の辞書、副読本、歴代天皇事典を参考書に。
難解なのでペースは遅いのですが、思索が必要とされるので、想起、想像を起こしての読書となります。
内容は皇統(上巻)(下巻)、天先章から始まり、国の起りについての記述があり、その一節に「・・・天神生々の後 二神初めて中國(なかつくに)を立てて 男女の大倫正す 男女は是れ元陰陽の本 五倫の始めならずや。男女ありてこそ夫婦、父子、君臣の道立つならずや。・・・」、これなどは当時民としてあり方を諭しているような記述、国の形、そして民となる人々にあるべき姿を教え示している。
まだ中朝事実、読み始めの段階ですが、このような記述があることに暗示を感じました。
それは古事記、日本書紀を基に立てられて布斗麻邇、言霊学と精神文化面で繋がっているのだと。
やはり、布斗麻邇、言霊学のテーマは「人倫」です。
「言は事」の原則を記紀の神々の働きと、五十音の働きを連繋させ学問と成立したもの。
植芝翁は大本教で出口王三郎に師事して言霊学を学び、合気道理念は記紀が元となっています。
植芝盛平語録を綴った「合気神髄」とも深く関わっています。
そのよなうな関連から、大和民族、日本人の精神文化の原典になっているのが記紀と思うようになったのです。
そんな時期にネットの記事から次の記述を目にしました。
<<吉祥丸「父は合気道の心は皇祖皇宗の御遺訓である、と良く言って居りました。合気道は日本の自然の中で培われた純粋に日本的なものだ。日本民族は麗しい山河を愛で、御皇室をその中心として尊宗して来た。従って合気道は御皇室と共に在り、御皇室中心で無ければ成らない、と」『合気道探究』>>
テープでも「皇祖皇宗の御遺訓」の言葉、何度も発せられていました。
開祖は記紀から学び取ったものを「皇祖皇宗の御遺訓」と称して「心」を伝えたのは、連綿と続く皇室文化の尊さ、意義の認識からなのでしょう。
また三島由紀夫は皇統としての存在を「天皇は長期間熟成培養された、自然な社会統治システムである」といい、その背景にはやはり連綿と続く御皇室の存在意義を主張している。
これもある意味で、皇統の意義の理解でしょう。
戦前の教育を受けた方には当たり前の言葉でした。
教育勅語に示されています。
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