移民(移住)について。

移民と言う言葉から思い出されること、戦前までは他国へ移民する時期が長くあり、理由は貧困からの脱出と聞き及んでいます。
子供の頃から、耳にした外国はハワイ、ブラジル、北米等が記憶にあります。
私自身、移民の出来事が身近に感じた経験があります。
親父の叔父にあたる人がブラジルに移民しようとしたが、迷って占い師に聞いて止めた方がいいと言われ思い留まったという話を叔母から聞きました。
明治30年頃の生まれ、大正時代末ぐらいの話と想像できます
叔父の出身地が南海の孤島、奄美大島の脇にある喜界島と言うところ、母から聞かされていた話は離島苦で貧しく不便なところと聞かされていました。当然ですが私の両親が喜界島出身者です。
日本に留まり、のちに池袋で事業を起こし塗装所の経営で成功します。
戦前は、日本人にとって貧しさからの脱出との手段が移民という身近な事として認識されていたのでしょうか。

日本人の移民が始まった時期を調べると、
「日本人が初めて海外移住したのは明治元年。坂本龍馬が尽力したことで知られる「大政奉還」によって江戸時代が終焉した直後に、120人がハワイの契約移民として農業移住。これが日本人初の海外移住
とにりましたが、海に囲まれた日本、大海の向こうに広がる未知の世界に向けて浪漫と不安が交錯する
姿は容易に想像できます。
このことが実績となって、やがて日本は一大移住時代を迎えることになります。明治41年6月18日(移住の日に制定)。日本政府の移住政策に応じた大規模移民の第一陣781人がプラジルのサントスに到着。
文明開化の幕開けを迎えようとしていたものの農民は苦しく、また海外の農業大国は労働者を必要とし
ていました。つまり両国の思惑と利害が一致したわけです。
以降、昭和の大戦終了時までに移住した人は北米20万人、ハワイ20万人、中南米20万人、樺太28万人、
中国27万人に及んでいます。当時は海外へ行くことなど普通の人にとっては不可能だったことから、海
外雄飛に挑むには「国策移住」に応募するしかなかったのです。低賃金の過酷な労働者として、また荒
地の農園開拓者として、かなりの苦労があったことは知られた事実ですが、そうした苦難の道を乗り越
えてきた日系一世たちのパイオニア精神はいつの時代も光輝き続けています。
このことが実績となって、やがて日本は一大移住時代を迎えることになります。明治41年6月18日(移住の日に制定)。日本政府の移住政策に応じた大規模移民の第一陣781人がプラジルのサントスに到着。
文明開化の幕開けを迎えようとしていたものの農民は苦しく、また海外の農業大国は労働者を必要とし
ていました。つまり両国の思惑と利害が一致したわけです。
以降、昭和の大戦終了時までに移住した人は北米20万人、ハワイ20万人、中南米20万人、樺太28万人、
中国27万人に及んでいます。当時は海外へ行くことなど普通の人にとっては不可能だったことから、海
外雄飛に挑むには「国策移住」に応募するしかなかったのです。低賃金の過酷な労働者として、また荒
地の農園開拓者として、かなりの苦労があったことは知られた事実ですが、そうした苦難の道を乗り越
えてきた日系一世たちのパイオニア精神はいつの時代も光輝き続けています。」
ネット記事「海外移住の歴史経緯と動向」より引用。

私の親父も同じ理由から、叔父を頼り上京し叔父の経営すると工場に努めます、当時は軍需関連の塗装をしていたので工場は盛況でどの程度の賃金をもらっていたかはわかりませんが、新婚当時の写真から想像するに身なりがしっかりした背広を着て居るところから判断するとそれなりの稼ぎが得られていたようです。

昭和18年5月の写真から身なりが見えてきます。背景から察して喜界島で撮った写真と思われます。
身なりから貧困さは感じられません、上京したことで身が立ち結婚したのでしょう。

この例は移住ですね。
このような例は、第一次戦争時代に人手不足が起こり、沖縄、奄美から多くの人が本土へ移住したと聞いたことがあります。

引用文にあるように移民、移住の切っ掛けは貧しさから脱出、
農民は苦しく、また海外の農業大国は労働者を必要としていました。つまり両国の思惑と利害が一致したわけです。」国内外を問わず、労働力の不足が根底にあります。

現在の日本がそうなっています。
人口減少出生率低下で移民受け入れに舵を切りました。
日本に移民、もしくは短期労働者として入ってくる民族はアジア系、ヒリッピン、ミャンマー、タイ、ベトナム、そしてアフリカ系、中近東系、中国系では労働と言うより国を見限り移住目的の華僑的な人々。

彼らを受け入れる際に問題として、日本社会の秩序、ルールを守る意識があるかいないかで今後の日本が、ヨーロッパのように移民問題で社会が壊れていく可能性があるのではないか?

現実に埼玉県川口市のクルド人たちの振舞があまりにも日本人が作っている秩序とかけ離れ問題になっていることを考えれば、今後の日本の将来に影を差す移民問題と思われる。
彼らは出稼ぎ目的だが難民申請で日本に来たとか、入国管理の甘さが気になります。
岩屋外務大臣が「中国人 ビザ申請10年と延長する施策」を、インバウンド効果の狙いと聞くがこれも国内の混乱の一因になることも考えられる。

一番心配になるのが、今の日本では帰化すればすぐに被選挙権が与えられ、思想信条には何ら警戒もなしに受け入れてしまう国。
国防の観点から見てもはなはだ危険な制度、悪意を持って帰化されたら簡単にスパイ活動が行われてしまう。
ここが戦前の日本人と戦後教育で育った日本人が異質となって国家の視点から見る目がとられてしまったために、変えていかなけらばと政治的にも動きが見られない。

まして、外国人参政権を容認している自治体が多くある。
最近では熱海市市長に中国人が立候補しているとか、対立候補がいないとなると彼が市長となり中国人を優遇する政策が行われ、華僑的中国人が集まり中国人自治区が生まれる可能性がある。
日本人気質の変化なのか、外国人に地域社会の政治をゆだねることになるのか?

戦後の教育で日本人はナショナリティーも消えうせて、帰化人政治家が出身国への利益誘導が当たり前のように行われていることに気づかない。

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