私は、昭和21年~31年まで飯田橋駅東口近辺の飯田町2丁目に住んでいました。
正に終戦直後の年でしたが、この辺は空襲の被害はなかったようです。
親が文房具屋を営んでいましたが、お店は新しい建屋でなく戦前からあったものらしいです。
いわゆる店舗型住宅でした。
オヤジが言うにはその資金は行商で得たとか。
当時はまだ安く買えたと言っていました。
そんな縁で千代田区飯田町に住む機会を得たのです。
今振り合えれば、千代田区の中心地にあたります。
近所には、東京大神宮、靖国神社があり、目白通り九段下へ行けば、神保町そして皇居があります。飯田橋駅西口へ行くと、神楽坂、市ヶ谷そして釣りで遊んだ二番濠があります。
ある日幼稚園の同級生から、映画館にただで入れるからと誘いを受けて一緒に行き、友達は躊躇なく入場したのですが、
私は戸惑い入りそびれました。友達慣れていたのでしょうか?
受付の人、小さな子供だからと目こぼししたのでしょう。
のんびりとした時代を伺わせます。
この範囲が私の行動範囲だったようです。その映画館が神楽坂坂にあったメトロ映画劇場でした。
提供:新宿歴史博物館
そんな思い出のある映画館の写真が無いかとネットで探して見つけたのがこの写真、「神楽坂 映画館 昭和20年代」で検索したところ、「てくてく 牛込神楽坂」と言うホームぺージに行き着いたのです。
そしてこの写真と出会ったのです。
幼い頃から映画を見ようと通った映画館、メトロ映画劇場の写真を見て懐かしさがこみあげてきました。
小学生時代よく観に行ったものです。小学校は靖国神社側の富士見小学校です。
どんな映画を観たかと言えば、
学校では映画鑑賞と言ってデズニ―映画「ダンボ」「白雪姫」なども見ました。
東映時代劇全盛でしたね、若手俳優では中村錦之助、東千代之介、伏見扇太郎、大川橋蔵、女優では大好きだった千原しのぶ、大川恵子、長谷川裕見子、高千穂ひづるなどなど思い出されます。
当時は、映画で何部作と言って続編が製作されていました。
思い出すのは、「紅孔雀」1954年三部作 出演者 中村錦之助、東千代之介、大友柳太郎、高千穂ひづる。「笛吹童子」1954年三部作にも前述した俳優が出ています。
お正月映画と銘打ってオールスター豪華な映画も製作されていました。
記憶では、「忠臣蔵」などがあったように思います。
テレビ放送が開始前は映画全盛でした
特に東映は時代劇スターが居ました。
ベテラン俳優、片岡千恵蔵、市川歌右衛門、月形龍之介、黒川弥太郎などでした。
お姫様スターと呼ばれる女優では、丘さとみ、大川恵子、桜町ひろ子、天然美人でした。
そして、この時代に作られた時代劇は今では製作困難と思われるほどエキストラを使い大掛かりのセットを使用していました。
時代劇映画華やかな時代でした。
現代劇では、美空ひばり、鶴田浩二の「あの丘越えて」がはっきりと記憶に残っています。
ひばりが歌う映画主題歌はカラオケで歌ことも。
映画のほかに、坂を自転車で登ることを試して蛇行しながら登り切りました。
交通量が少ないからできたのでしょう。
神社で、街頭テレビを見たこともあります。
また、母親におもちゃ屋さんの前で駄々をこねて、モーターで動くルノーか買ってもらったことも。
家の事情で、牛込北町から通学する事となった時、神楽坂裏の路地を通ると料亭のような建屋が並んでいました。
当時、神楽坂芸者が歌手で人気がありましたので、この様な場所で働くのかと思いました。
神楽坂はん子が歌う「芸者ワルツ」がヒットしていた頃です。
ある時、牛込北町から学校へ向かう途中、大きな屋敷で葬式に出くわし、看板を見ると宮城道雄とあったので琴の奏者と分かりました。
後に分かった事でしたが汽車から落下して亡くなった時の葬式だった
地理的には神保町も近く、そこの映画館にも行きました。
何という映画館か名前は忘れましたが、確か松竹映画題名は記憶にないのですが主演が中村扇雀の映画を観ました、後の坂田藤十郎、奥様が女優の扇千景さん、有名な歌舞伎役。
68、9年ほど前の記憶になります。
そして釣りで遊んだ二番壕、
提供:新宿歴史博物館
右上端に見える屋根が飯田橋駅西口駅舎です。
この貸しボートにも乗って遊んだことも、そばには逓信博物館もありました。
切手蒐集が流行っていた時に入って見学し珍しい切手ばかりで羨ましかったね!
この時代、遊んだ場所など私にとっては思い出がたくさん詰まって、まさにネバーランドです。
年を取った分、あの映画館の写真から楽しい思い出が蘇りました。
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