私、18歳で日大生産工学部合気道部に入部し開祖植芝盛平翁と出会ったことで、記紀に関心を持つようになって現在に至っています。
それ以来、頭の片隅に、開祖が話された事柄を理解しようと、開祖の関連書籍を読んでいるうちに、多少なりとも理解をするためには、神道を知らなければと様々な本を読むようになりました。
何冊か紹介します。
かなり古い本になりますが、開祖の一端を知ろうと若い頃に購入した本です。
最も開祖が合気道の理念、思想を著している本が「合気神髄」。
これを読むと、記紀を理解をしなけらばいけないと思うし、その記述の周辺なる事柄を知るためにと神道関連の本を購入し読んでいます。その中の一冊に「神道と日本文化」著者 廣島高等師範学校教授文學士 清原貞夫氏があります。発行が大正15年6月20日、94年前の本になりますか!
その本にその事に就いて「そーだったのか!」と認識させる記述があったのです。
戦後教育で除外された学び、日本民族の伝統、精神文化を、この本を読んで気づかされたのでした。
当然昔の本ですから、字体は旧漢字、戦後当用漢字で教育された私らの世代では読めない漢字がありますが、スマホのアプリの手描き辞典で調べられるので助かります。
それにしても、文學士といわれる立場ですが、今の大卒とは比べられないほど語彙の豊富さに驚かされます。
その記述には神国日本という思想について次のように説明されていました。
「・・・日本が神國であると云ふ思想は何時頃から始まったものであるかと云うことは固(もと)より詳(つまびらか)では無いが可なり古くから存在した思想である事は爭はれぬ、建國當初(とうしょ)から既に敬神思想が極めて厚かった事は云うふまでもなく、それよりも我國の開闢(かいびゃく)【意:天地のはじめ】神話(古事記、日本書紀などを指すのでは?)が明らかに其思想を反映して居ると見るべきであらう。
大化改新に當って何事も支那の制度を模倣した中に、獨り(ひとり)神祇(しんぎ)【意:日本の神々】に關(関の旧字・読み かん )しては從来の風習が保存せられ、殊(こと)に八省(今で云う省庁)の首班に神祇官(古代の日本の律令制で設けられた、朝廷の祭祀を司る官庁名。)を配すると云うが如き全く支那の模倣から離れた制度が立てられた事は我國として神祇を重んずる思想が現れたものである。
我國を開闢せられたのが皇室の祖先たる神々であると云う事はやがて其後胤である所の天皇を其まヽ神であるとする國民の信念を産んで居る、殊に其高潮に達したのが奈良朝時代である。
萬葉集卷三にある柿本人麻呂の歌に
大君に神にしませば天雲のいかづちの上に蘆(いおり)せるかも
■大意:大君は神でいらっしゃるから、雨雲の雷の上にいほりしておいでになる。(雷丘を実際の天空に鳴りとどろく雷に見なして歌っている)とある、
之は天皇が雷岳に御幸せられた時扈從(こしょう 意:つき従う)して歌ったもので歌全體(ぜんたい)としては一種の諧謔(かいぎゃく 意:冗談、ユーモア)を弄したものヽ様に思はれるが、大君に神にましますと云う一句は全く當時の思想を現したものである。天皇の事を現人神(あらひとがみ)と稱(たた)えた例は景行天皇(第12代)雄略天皇、(第21代)の場合にも見えてゐる。
其外歴代の詔勅(天皇の発する公式文書)にも天皇の事を明神(あきつきかみ 意:現に現している神の意で多く天皇に用いられる。)と稱する場合が多く、萬葉集の中にも亦(また)天皇の冠辭(かんじ 意:語に冠して修飾を加える詞)に明津神又は遠神(とほつかみ)の語が用ゐられた例がすくなくない。其外「大君に神にしませば」と云う言葉及び同じ意味の言葉は萬葉の歌人に依って屢々(しばしば)用ゐられて居るのである。・・・」
この記述から、見えてきたことは4、5世紀頃から日本を神国と思う人達、どの階層まではわかりませんが、当時からそんな思想を持ち皇位ある人を素直な心でそれを受け入れ、国の中心と感じ「神」的な存在と感じたのでしょう。
記紀は神話として語り継がれていますが、編纂された当時より以前、物語が生まれる歴史的背景があればこそ伝承、神話として日本建国の言い伝えが当時の人々に受け入れられたことになります。
どの国にも神話があります。
ギリシャ神話などが有名ですが、その神話に国の成り立ちを国民は心に留めてそれぞれの国が歴史を紡いでいます。そこに国として精神的文化を共有し、そこに住む人達の居場所が守られてきた事を想像します。
地政学的にみて欧州、支那などは昔より陣取り合戦に明け暮れ、その度に国家が滅亡し覇者が国家を造り、民衆を従わせるために自らを神と名乗り、武力などで抑える覇権主義で国家形成をなしていますが、この記述からは建国以来日本民族は精神的根幹に、連綿と続く天皇を現人神と崇敬し、国民も国家を維持してきたのかと思えます。
三島由紀夫が「天皇は日本という特殊な島国で長期間熟成培養された、自然な社会統治システムである」と言い切ったことがこの神国思想から深く理解できます。
三島由紀夫の言葉を裏付ける記述に、
「爾孫就而治焉」の大和言葉読みがルビされています。「いましうめみまゆしらせ」と、
ここの治・しらせは「しらす」で意味は、
歴代天皇が國民を治め給ふに覇道を斥け常に王道を行はせられた換言すれば終始仁政を持って一貫せられたのは此「しらす・治」の政治を理想とせられた皇祖の遺教に拠るものである。
また開祖植芝盛平が岩間時代、言霊学者の中西光雲に師事し「古事記」を勉強、研究して日本民族の魂の根源を探求したのもわかります。
そして「武産合気」なる言葉が生まれたと開祖植芝盛平伝に書かれていました。
私自身、神道、記紀などは一端をかじった程度ですが、「皇統を綴った中朝事実」を読んでいたからこそ、何とか理解できたのでしょう。
世界に稀有な日本、連綿と皇統を続け、今日に至るまで国体護持が守られてきましたが、ここに来て、
万世一系の伝統を壊そうとする政治家がいる事が残念でなりません。
邪推ですがその方たちに大和民族の血が流れているのか疑問に思わざるを得ません。
戦後教育で皇室文化を教えなくなった今、その皇統の意義を膾炙すべき時なのです。
最近のはやり言葉で「神ってる」との言い方がありますが、そのニュアンスに「超絶」が込められている気がします。
当時の人達が、天皇に対する思いを今風に例えるならば「神ってる」となるのでしょうか?
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