サイレント・パルス <音楽・科学・合気道>

タイトルは本の題名です。
この本を購入した動機は、合気道の指導の上で「氣」の概念の理解の一助とになるのではと考えたと記憶しています。
発行日が1980年6月20日第一刷とあり、手元の本は1984年12月24日第三刷なので36年が経っていますから35,6年前に買ったのでしょう。
たまたま書棚で目にして、読み返す気持ちが湧きました。
序文には、「本書の三本柱ー音楽、科学、合気道―」とありそのアプローチにもさらに関心が。
奄美民謡を稽古しているので「音楽」を柱に挙げていることにも思いが行きました。。

著者、「サイレント・パルス」を題にした謂れは、下記の記述の太文字部にあるのではと思いまます。
「・・・本文中、はっきりと合気道をあつかったエピソードはひとつしかない。けれども、その精神はあらゆるページにみなぎっている。日本文化からの贈り物に対して、わたしは多大な感謝を抱いている。現代科学の大胆な仮説をつなぎあわせ、東洋の賢者たちの教えと響きあう世界観を構築する本書が、少しでもそのお返しになれば幸いだ。さらにこの本を読みながら、読者がわたしのいう<完全なリズム>を経験されることを祈りたい。自己とコスモスとが同調する祝福の瞬間、ハートの歌と音楽をつなぐひとつの和音・・・」

帯には「気と健康のニューサイエンス」と書かれている通り「氣」と「身体」の関連が理解できるのでは考えました。
合気道の術理、「氣を出す」は身体の内面的強化、特に手刀鍛錬の「呼吸法」の稽古で心がけ、「氣を導く」は「和合・合わせ」の理と理解していたと思います。

合気道稽古、故あって10数年離れていましたが、昨年から先輩が主催する講習会に参加するようになりました。
また、合気道の弟子が我社に勤務している事から、始業前の10分間程度ですが身体慣らしの目的で再開したのです。
畳、マットなどは用意できないので駐車スペースを利用しての稽古になりますから、合気剣術、杖術が主になりますが、稽古最中体術についても術理談義があります。

そんな背景からさらに本について関心を呼び、初めから読んでいくと、著者は10年間ほど合気道稽古の経験を持ち、体験から「しなやかな技と精神を学んだ」と書いてありました。
その具体的な考えを次のように記していました。

「・・・合気道は、ラディカルで、しかも洗練された対立解決の道を与えてくれる。『合気道の精神は、愛に満ちた攻撃と平和な和解にある』と合気道の創始者、植芝盛平翁は言う。愛にあふれた攻撃、ダンスであるという。通常の思考では相いれないパラドックスをそのままに実践している合気道は、わたしたちの心を開き、飛び立たせ、宇宙の究極のハーモニーをかいま見せてくれる素晴らしい東洋の『気の哲学』だ。」

著者の経歴を調べると、
「1953年から1970年まで「ルック」誌の編集局次長をつとめ、アメリカの教育問題に関するレポートで多くの賞を受賞。合気道四段の腕前を持ち、カリフォルニア州ミルヴァレーで「タマルペイス合気道道場」を主催、指導にあたる。本書の他、『魂のスポーツマン』(邦訳、日本教文社刊)『サイレント・パルス』(邦訳、工作舎刊)『教育とエクスタシー』などの著作がある。」とありました。

此の経歴を読むと合気道の理念を深く理解することが分かりました。
見識が高く教養溢れる人柄が想像できます。
「対立解決の道」「愛にあふれた攻撃」と表現していますが、高弟であった塩田剛三の言葉を借りれば「対すれば相和す」の意味と取れますし、他に高弟の藤平光一は「氣」の作用に注目した「気の研究会」という会派を立てて合気道を教授しています。

私が大学の合気道部に入ったのが昭和40年、まだ世間では知名度が低く知られていませんでしたが、今や世界に広く普及し、開祖植芝盛平が掲げた合気道の理念はこのように外国人にも理解されていることに驚きを感じています。

著者はアプローチの一つに科学を上げていますが「量子論」の考え方が主なようです。
「・・・というのも現在では、物質宇宙のすべての粒子は、固有の振動数をもったピッチや波形や倍音によって特徴づけられることが分かっているからである。・・・」

サイレント・パルスという意味を私なりに理解すると、「無言の、無音の認知できない脈動」が存在する全宇宙の中いる我らがそれに気づくことにより更なる精神的高み、未知なる感覚を持ち得ることが出来る。その中核となるのが「サイレント・パルス」の気づきを言ってるように思えます。

開祖植芝盛平の「合気神髄」の一文に合気道修行の心得として次のように書いてありました。
「・・・我々は魂の気の養成と、また、立て直しをしければいけません。合気は宇宙組織を我々の体内に造りあげていくのです。宇宙組織をことごとく自己の身の内に吸収し、結ぶ。そして世界中の心と結んでいくのであります。仲よく和と統一にむすんでいくのです。これからはいうまでもなく戦争をしてはいけません。喧嘩争いはしないことです。すべて結びでやる。それでないと本当の強さは出てきません。それでないと皆さんの稽古が無駄になってしまうのです。・・・」

著者はそれを自己とコスモスとが同調する祝福の瞬間」と理解したのでしょう。
文化、文明の歴史の違いがある国の人が合気道修行を通じてその理念を理解しているのです。
著書のもう一つの視点「音楽」から「振動」をキーワードにしてその本質を説明しています。
「・・・あらゆる力と運動の根源に、燃え上がる存在の中心に、音楽とリズムが存在している。時間を軸とするパターンをもった振動の戯れ―――。2,500年以上も昔、哲学者ピタゴラスは弟子たちに『石は凍てれる音楽である』と語った。その直観はは現代科学でじゅうぶんに認められている。物質宇宙のすべての粒子は、固有の振動数をもったピッチや波形や倍音によって特徴づけられることが分かっているからである。粒子たちは歌っているのだ。・・・」

この記述は量子論の立場から見た考えでしょうが、14年ほど奄美民謡を習ってきた私には「振動の戯れ」という言葉に惹かれます。
呼気から生まれる喉頭部声帯の振動が身体の振動と相まって歌声になり、「空気の振動」を通じて聴衆に感動を与えられることは、全基底に同一の振動を互いに有している存在であればこそ、「音楽が世界共通の言葉」として通用するのではと考えます。

著者はこうも書いています。
「・・・音楽は世界構造の音響的反映であり、ひょっとしたら推測の域を出なかったかもしれない万物のリズミックな性質をはっきりとしめしているからである。・・・」

巻末に、「完全なリズムの体験に向かって」の章がありますが、
読むと、開祖植芝盛平が行じた「鎮魂帰神法」、祝詞奏上によって得られる心境を体験させるため、彼が構築したエクササイズの方法が書かれていました。
東洋の思想・哲学を取り入れたニューサイエンス学派の視点から書かれた本ですね。

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