日本人の伝統的道徳観ー祖先崇拝ー

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私、合気道を稽古していた経験から、開祖植芝盛平翁の影響を受け神道、記紀に関心を寄せるようになって長い月日が過ぎました。
新宿若松町にある本部道場で初めて会った日から54年の歳月がたっています。
諸般の事情で合気道の指導を止めてからも、大先生の講話の内容を理解しようと、言霊、記紀などの資料を探して研究と言えるほどではないですが、調べ続けて現在に至っています。

結果的に言えば、日本人の精神文化の根底に関連する事柄に行き着くこととなりました。
開祖が講話の中で話されるお話、合気道理念の説明を古事記、日本書紀に拠るからです。

今回の話題も、それに関連して探し出した本の記述から日本人が有している道徳観についてを感想を持ったことを書いてみたいと思います。
その背景には、戦後の教育で、連綿と続いている日本の歴史、その中心にある神道の知識が希薄なためその理解の一助となり得ればと思った次第です。

引用する本は「神道と日本文化」ですが、これは谷中にある朝倉彫塑館の書斎においてあった本の表題を書き留めネットの古本屋から買い求めたものです。

発行が大正15年6月20日とあり、今から93年前の本です。
今では薄れゆく当時の日本人が規範がどの様なものと知るのは今だからこそ有意義に思えるのです。
温故知新です。

道徳思想の章の中の次の記述がありました。
「・・・然らば上代国民の道徳思想の萌芽は如何なる状態に於いて存在して居ったかと云うに、神道信仰の中に含まれて居ったのである、其最も主要なるものは祖先崇拝である。・・・」、この一節から思い出したこと、母が口癖のように、奄美の方言で「うやふじ、とぅとぅ、とぅとぅ」という言葉でした。
標準語で言えば「ご先祖様は尊い、尊い」の意味になります。
今でこそ飛行機ですぐに行ける地域になっていますが、南海の孤島、喜界島、そこに成人するまで住んでいて覚えた言葉、そんな孤島にもご先祖様を尊びなさいと語り継がれていたのでしょう。
ということは、日本の隅々まで神道信仰が広まっていたと推察されます。

上代というと、日本史的には奈良時代を指します。
範囲としては奈良を都とした時代(710年―784年)。天皇を中心にした,律令時代の盛期。となります。8世紀頃ですね。
写真で示す郷土史の喜界島史を参照すると、母が生まれた部落小野津には八幡神社があります。言い伝えがあり、「・・・小野津に雁股の水あり、為朝が居城を定むるため海上より矢を放ちたるにその矢ここに立ちたるを以てこれを抜きしに、其の雁股の矢の痕より清水湧でたるを以てこの名ありと云う・・・」、この記述から上代より2、3世紀あとには神社が出来ていることからも神道が普及されていたと想像できます。
ちなみに各部落に神社があります。
ゆかりのある部落で言えば、志戸桶には菅原神社、花良治には高尾神社、阿伝には末吉神社などなど。
祖先崇拝の思いが伝えられるわけですね。

ちょっと脇道にそれましたが、「神道と日本文化」に書かれている話に戻ります。

では、上代における道徳とはどんなものかと著者はこう述べている。
「・・・宗教と道徳と法律、此三者を全然区別することは出来ない。特に上代文明の分科が未だ十分で無かった時代に在て此三者は殆ど合体して居ったと見るほうが正しい、殊に其中、道徳とは慣習と云う事を根柢とした同一物の二つの方面に過ぎない、而してそれがやがて上代に於ける唯一の法律なのである・・・」

このような見方からすると、上代に於ける規範は自然派生的に起こり、その当時の生活の環境による経験から育まれた行動則が、どのようにしていけば集団生活が快適な状態を維持できるかと考えて生まれてきたのが道徳と言えるようです。
その背景には日本民族が稲作で生計を立ててきた農耕民族であるがゆえに、自然に対して畏敬の念を持ち、自然と共生、調和して行く必要から神道が生まれたのでしょう!
今でも連綿と続く皇室行事、祭政一致の祭事に受け継がれています。

法律の基が道徳心と言われるのはそんな考えたが底辺にあると思われます。
よりよく社会が円滑に生活を送れるようにと先祖は体験、経験から感じ取っていたのでしょう。

加筆

祖先崇拝の念が、原始社会において初めから有ったわけではなく、社会が形成されていく過程で進化してきたと著者は述べている。

「・・・此祖先崇拝の進化は疑いもなく社会そのものの進化の投影に外ならぬ、即ち原始社会に在って、他の諸動物に於いて見る如く、親の其の子に対する愛は其哺育を続くる間に限られ、其子が独立の生活を営む能力を有するに至れば自然親子の関係は断絶せられる、食物の乏しい場合に在っては其親と独立した子との関係は寧ろ競争者であり、多くは敵対関係である。此場合、強力なる其親は其子に取っては恐怖対象であり、其対者が老衰した場合には之を労わる代わりに虐待すると云う事は自然である。・・・中略・・・然るに人智が段々発達して来るに従って親子の関係は生涯通ずるものになる、親の子に対する慈愛、子の親に対する思慕は親の此世を辞するときまで続く、老いたる親は其子の温かい看護の下に息を引き取る。此場合に於いて親の死は其子に取って哀しみであり、其親の生前に対する回顧で懐かしい思い出である。従って其霊魂に対する崇拝は思慕からくるものでなければならぬ。・・・」

原始社会と言えば、狩猟時代を指している、それから農耕社会へと移り行く過程で変化したのではと推察されます。土地に定住する社会になり、食べ物も貯蓄ができるようになって、狩猟時代より安定した社会になったことで、心のゆとりが生まれ思いやる感情が育つ環境を持ちえたことが大きく影響していると考えます。

我々が祖先崇拝の念を持つに至ったことも長い時間をかけて歴史的に育んでいたのだと再認識です。

コメントが 2件あります

  1. 角田雅春さんより2019年5月4日12:58 PM

    御無沙汰しています。角田です。先生のブログ読ませていただきました。
    神道と日本文化、大変興味深かったです。日本国を作り上げてきたご先祖には感謝の念で堪えません。合気道に通じるものがあり、先生の話題は勉強になります。ありがとうございます。

    • 有限会社フジックス 上野2019年5月4日3:22 PM

      コメント有難う!
      若い頃から、開祖植芝盛平の講話、書籍などの内容を理解しようと様々な神道関連の本を少しづつ長い時間をけて勉強してきたら、神道が日本の精神文化の基底にあり、その始まりが「祖先崇拝」と思えてきたのです。
      遥か原始時代から農耕社会に変遷し、皇室を柱として精神文化を育んできた歴史、理解が深まるほどに大先生が次のようなに言われたことを理解し得ました。

      <<吉祥丸「父は合気道の心は皇祖皇宗の御遺訓である、と良く言って居りました。合気道は日本の自然の中で培われた純粋に日本的なものだ。日本民族は麗しい山河を愛で、御皇室をその中心として尊宗して来た。従って合気道は御皇室と共に在り、御皇室中心で無ければ成らない、と」『合気道探究』>>

      大和・日本民族の大事な心として合気道を通し、伝えたかったのでしょう!
      皇室は制度としてでなく、日本文化としてとらえるべきものです。
      戦後になり、その意義を教え伝える機会がなくなり、多くの日本人の心から「それ」が離れてしまいました。
      今では反対と言い出す日本人?が出てきました。
      これは、先人たちが連綿と繋いてきた心の理解不足としか思えません。
      平成から令和に変わり皇統を壊そうとする輩が出てきた今だからこそ、真の皇室文化の意義をしり、万世一系の皇統を守ってこそ日本国の安寧が保たれるのだと思います。

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