祭政一致の本義

表題の「祭政一致の本義」の言葉、今から40年ほど前に合気道部先輩の弟さんから譲り受けた合気道開祖植芝盛平翁の講演テープで聴いた言葉です。

今は日常的に使われる言葉ではないですが、敗戦するまでの日本では、神道行事的意味合いから理解されていた言葉と想像します。

このような言葉をブログに取り上げている私は戦後生まれの世代で、この言葉に興味を抱く人は皆無と思われる世代の育ちです。

今では死語状態の言葉と思います。

しかし、私は合気道を通して、盛平翁の考えなど「合気神髄」に著されている考えを知ろうという思いがあり、18歳で出会ってから、興味をそそれられる人物として私の意識の中にずっと存在し続けていた人です。

その影響もあり、「日本古代史と神道との関係講述 久米武邦」を古本屋から購入した書籍にその意義を諭す記述に出会い、盛平翁が「祭政一致の本義」と使った理由が見えてきたのです。

こんな本を買う気が起るのは、大先生(開祖植芝盛平)の古事記、日本書記を基にした布斗麻邇・言霊学の考えを多少調べて知識がある影響からではと思います。

勉強というか研究というのか、関心を持ち続けていた期間でいえば40年以上が経っています。

この久米武邦氏は明治4年11月、岩倉具視遣歐米特命使節団の随行員で「宗教取調係」の任を受けた人、それが後年、此の講述を記した。

その中の、69頁「祭政一致」の記述を引用します。

文章は旧漢字、旧かな使いですが現代風に記します。

「日本では百八十(ももやそ)の神を祭る事は政治の土台で、此の主旨に相応するよう、国の政治を取り扱わねばならないというのが祭典の根本義でありますから、陰陽道のようにいろいろの呪禁(まじない)をやったり迷信を流布するようなことではないのであります。祭神は即ち政治なのであります。其の祭政一致の古典という概略は、是も神祇令(しんぎりょう)を見ればわかります。中春(舊二月)に祈年祭(としごまつり)がある。これは農事の始め全国のために農作の五穀成就を祈るのです。・・・」

ここまでの記述から、今までの知識とすり合わせると、政・祭事とは昔は同義だったと言うことです。現在でも皇室で連綿と守られている伝統行事がそれです。

ここでは、

「祈年祭(としごまつり)」の祭事として、全国のために祈るとありますが、これが当時の政治のやり方だったのでしょう。今でも皇室でその行事を行うのは、ある意味で国民の安寧と平和な世を願う御心が基なのでしょう。

「・・・季春(三月)には鎮花祭(はなしづめまつり)があります。これは春の花が散る頃から、だんだんと疫病神が分散するというので、全国のためにこれを鎮める息災延命の祭りであります。次に*風神祭、*水神祭があります。これは広瀬、龍田の神でする祭りで、*天武天皇の頃から始まったものです。」

行事はそれぞれの月で季節に応じた季節の変化から起こる自然現象を大過なく済ませる様にと祈り、安寧を願うのでしょう。

これも政事ですね。

*天武天皇:[?~686]第40代の天皇。在位673~686。舒明天皇の第3皇子。名は大海人(おおあま)。母は皇極天皇斉明天皇)。兄の天智天皇の子の大友皇子(弘文天皇)が太政大臣になると皇太子の地位を去り、吉野に隠退。天智天皇没後、皇位を争って大友皇子を打倒(壬申の乱)。乱後、飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で即位。八色(やくさ)の姓(かばね)の制定や国史の編纂(へんさん)などにより律令制を整備した。 ネット記事より引用。

*風神祭:作物に暴風の被害がないように祈願する祭り。台風の来襲時期とされる二百十日前後に行うことが多い。旧暦8月1日ころになるので,八朔(はつさく)の行事にもなっている。普通,風日待(かざひまち)といって,仕事を休み,村人が集まって飲食をしたり,風止め籠りなどと称して村の神社にお籠りをするなど,簡単な神祭りの形式をとる。新潟県の弥彦神社の二百二十日の風祭や,兵庫県の伊和神社の二百十日の7日前の風鎮祭など,神社の神事にもなっている。…ネット記事より引用。

*水神祭:八坂神社の行疫神的機能は,京都が大都市的性格を帯びるに及んで,さらに強まり,牛頭天王をまつる祇園祭が盛大となり,夏祭として定着した。夏祭の原形は,水際から悪霊を祓い流すところにあり,水神祭をかねている事例が多い。都市の河川は,しばしば大洪水になったり,悪疫を流行させる要因となったので,水神の霊を鎮める祭りが催されたのである。ネット記事より引用。

「・・・風雨が随時でなければ全国の百姓が困るから、水が涸れないよう、大風が吹かないように祭したのであります。春秋の*神衣祭(かんみぞまつり)は上代天照大神以前からあった祭典と言い伝えています。・・・」

*神衣祭:伊勢神宮恒例大祭の一つで,皇大神宮および荒祭宮和妙(にぎたえ)(絹),荒妙(あらたえ)(麻)の御衣を奉る祭り。神祇令によれば,孟夏(4月),季秋(9月)の2回行われ,〈此れ神服部(かんはとり)等,斎戒潔清にして,参河の赤引神調(あかひきのかんつぎ)の糸を以て,神衣を織り作り,又麻績連(おみのむらじ)等,麻を績みて敷和衣(うつはたのみそ)を織りて,神明に供す,故に神衣と曰ふ〉(《令義解》)とある。応仁の乱以後,一時廃絶したが,1699年(元禄12)再興され,明治以降は5月と10月の14日に行われている。ネット記事より引用。

この記述から、大昔3000年前から稲作がおこなわれるようになった日本、自然災害、地震、火山噴火、津波、台風そして病気に戦いながら生きてきた先祖の思いをこの祭事から想像できます。

現在も台風21号により関西、東海地域は生活は脅かされ、北海道、地震で震度7、ブラックアウトの停電と生活の安寧が壊され、自然災害にはどうすることも出来ない現実が3000年後の今もあるのです。

ご先祖が行ってきた祭事、祈りこの思いを見直し、自然(神々、八百万の神)に真摯に向き合う心を取り戻しては!?

合氣道開祖植芝盛平が講演テープで発した「祭政一致の本義」の意味を、今私は、「和合、平和、安寧」を保つ事と理解しました。

「古代史と神道との関係」は久米武邦氏の考察を基に講演された内容を本にしたのが沖野岩三郎氏、明治期に生きたの両名、神道、古事記、日本書紀を基に研究発表として本にしています。

私を神道に関心を向けた合気道開祖植芝盛平も「記紀」をベースにして合気道理念を構築しています。

「古代史と神道との関係」の書籍と「合気道開祖植芝盛平」理念を結びつける基は「記紀」。

三千年の歴史を刻む日本の伝統・文化を改めて知る思いです。

 

 

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