「神道と日本文化」

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この表題は本の題名、この本と出会ったのは3年前、小学校クラス会の行事の一環で谷根千見学と称し街歩きする中、朝倉彫塑館に入館した時でした。

回覧しながら書斎に入ると、書棚にたくさん保管されている中でこの本を見つけたのです。

神道に深い関心がある私には「こんな本があるんだ」と興味が湧き入手しようと思いメモしておいたのです。

そしてネットで検索を掛けるとあったのです。

即購入して、今年に入り本格的に読み始めました。

著者、廣島高等師範學校教授文學士 清原貞雄 東京 大鐙閣蔵版

大正15年6月15日印刷 大正15年20日發行 發行所 東京神田今川小路 合資会社 大鐙閣

今から93年前の本になります。

読むと今更ながら、神道というものが大和民族の精神形成の基底にあるものと改めて思いました。

だからこそ、彫刻家の朝倉文夫氏も造形にかかわる精神性の必要から勉強されたのではないでしょうか?

書斎にあった神道関連の本はこれだけではありませんでした。

「東洋のロダン」とのいわれるくらい有名な彫刻家です。

そんな彼が神道の勉強の必要性を何故感じていたのか、くしくも開祖植芝盛平と同じ明治16年生まれ、開祖も合気道理念は神道・言霊学に求めています。

やはり、心、精神性の磨きなのでしょうか?

この本の目次から、日本人の生活、全般に神道が関わっていることがわかります。

序論

  1. 道徳思想
  2. 国民精神
  3. 国家の理想
  4. 勤王思想
  5. 政治
  6. 国民の政治
  7. 農業
  8. 商業
  9. 工業美術
  10. 文学と音楽
  11. 神仏習合の文化史的意義

この様に章に分けて著述する範囲を見て、神道精神の影響が日本人にとって関わりがある事を感じる。

序論に次に取り上げられていたのが、道徳思想でした。

この章から何を理解できるが読み砕いてみましょう。

その章を読んで改めて「そーなのか!」と再認識できたのは道徳の観念がどうして生まれて来たか、

それも長時間をかけながらだんだん熟成し育ってきた観念と言うこと。

もっといえば、生まれつき持ち合わせているものでなく、徐々に気づきながらの成長と言うこと。

その基は、祖先崇拝と著者は次のように記している。

当然、古い本、旧漢字表記の記述ですが、現漢字表記にて記します。

「・・・然らば上代国民道徳思想の萌芽は如何なる状態に於いて存在して居たかと云うに、神道信仰の中に含まれて居たのである、其の最も主要なるものは祖先崇拝である、即ち祖先崇拝の道徳的意義とでも云うような事が第一に考察せらるべき問題であろうと思う。此の問題に就いては之を二通りに分けて考えなければならぬ。一に祖先崇拝其のものに含まれて居る道徳的要素であり、他の一つは祖先崇拝が国民の道徳生活に及ぼす影響である。祖先崇拝の起源に就いては死者の霊魂に対する恐怖説が一般に認められて居る、然しそれは最原始社会の状態を指摘したものであって、世の進歩と共に恐怖心に基づく崇拝は暫次親愛に基づく崇拝に入れ替わって来たもので、我建国当時に於ける祖先崇拝は確かに親愛の意味を有して居つた、此の祖先崇拝はの進化は疑いもなく社会其ものヽ進化の投影に外ならぬ、即ち原始社会に在って、他の諸動物に於いて見る如く、親其子に対する其哺育を続くる間に限られ、其子が独立の生活を営む能力を有するに至れば自然親子の関係は断絶せられる、食物の乏しい場合に在っては其親と独立した子との関係は寧ろ競争者の関係であり、多くの場合敵対関係である。此の場合、強力なる其親は其子取っては恐怖の対象であり、其対者が老衰した場合には之を労る代りに虐待すると云う事は自然である。或は其等老衰者を食物の浪費者として殺すと云う事は現今に於いても原始民族の一部には見られる事実である。

それ等の対者が死亡した時に其魂魄に対して恐怖を感じ其祟りを恐れるのは当然であろう。然るに人智が段々発達して来るに従って親子の関係は生涯通ずるものになる、親の子に対する慈愛、この親に対する思慕は親の此世を辞する時まで続く、老いたる親は其子の温かい看護の下に息を引き取る。此の場合に於いて親の死は其子に取って哀しみであり、其親の生前に対する回顧は懐かしい思い出である。従って其霊魂に対する崇拝は思慕からくるものでなければならぬ。我が建国の頃に於ける祖先崇拝は明らかに此の状態にあった事を文献は示して居るのである。即ち祖先の霊位を崇拝するは其崇りを恐るヽ為では無くして其父祖の霊は生前其子孫に対して持って居た愛護の心持を当然持続して居るものと信じて、其保護と授福とを祈る為に其祭りを行うのが我が祖先崇拝の祭儀である、神武天皇が即位第四年に鳥見山で霊畤(マツリノニハ)を立てヽ天祖の祭りを行わせられた時の詔に、・・・」

下記の記述に人間としての進化を示して居る。

「・・・即ち原始社会に在って、他の諸動物に於いて見る如く、親其子に対する其哺育を続くる間に限られ、其子が独立の生活を営む能力を有するに至れば自然親子の関係は断絶せられる、・・・」

原始社会がどの時代を指しているかは定かではないが、食料を求め生存競争が強いられ、こんなことが起っていた時代もあるのでしょう!

「・・・然しそれは最原始社会の状態を指摘したものであって、世の進歩と共に恐怖心に基づく崇拝は暫次親愛に基づく崇拝に入れ替わって来たもので、我建国当時に於ける祖先崇拝は確かに親愛の意味を有して居つた・・・」

この進化まで何年を要したのであろうか?数千年、数万年かもしれないが、人が持つ感情、情愛がもととなり進化して現代に至っているとみて間違いないようだ。

そこに道徳思想の萌芽が認められる。

それとても祭儀を行うことで、心の在り方を見つめなおし、自覚して心を正す機会となっている。

だからこそ、ヒト科のヒトとして生まれ人間(社会人)となるまでには、心を造る作業が必要とされるのでしょう。

日本の場合「神道」がその基となっている。

近年、合気道の普及とともに神道が世界に受け入れられている事が嬉しいですね。

神道における神は記紀に記されていている通り八百万の神といわれたくさん出てきます。

日本人は神、カミをどのようにどの様にとらえているか「神道のすべて」から引用し、再認識しておこうと思います。

「・・・人智では理解できないものと働きを”カミ”という・・・中略・・・江戸中期の国学者の本居宣長(1730~1801)は『古事記伝』(巻之三)の中で、「尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物」を「迦微(かみ)」という指摘をしている。これは神の定義としては、じつにすぐれてたものである。さらに、宣長はその自註のなかで「龍樹霊狐(たつこだまきつね)のたぐひも、すぐれてあやしき物」だからカミになると語っている。

すなわち、宣長は一種のアニミズム的視点から、人智では理解できないものや、そうした働きを〈カミ〉と名付けたわけだ。その意味でも、森羅万象の要素の一つである「火」や「水」もそれ時自体が充分に〈カミ〉としての契機を備えているといえよう。当然、霊妙不可思議の畏怖の対象は、カミと呼ばれるのは当然なのである。・・・」

自然現象が科学的に解明されていな時代、火山噴火、地震などをカミの怒りと感じ、様々な信仰形態が伝わっているのでしょう。

今日でも、人智が及ばぬ自然災害のまえに何も出来ぬことを知らされて「自然とは」「カミとは」何か?を見つめなおす我々がいる。

 

 

 

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