「ハマのペンキ屋」磯崎老。

17日、日本工業塗装協同組合連合会の懇親会に出席したのですが、会場に塗装の展示物がありました。 DSC_0308 DSC_0309 DSC_0310 DSC_0311 並んだ展示物と神奈川の組合が出展とが重ね合わされ、表題のペンキ屋さん、「磯崎祐三」さんを思い出したのです。前に読んだ「職人衆昔ばなし」に取り上げられていた事が記憶にあったからです。

展示された塗装板の模様塗、彩度、明度の高い色など。

磯崎老が戦後、日本塗装工業会の理事、顧問の任に就き塗装技術の普及に尽力されていたと本を読み知っていましたので、その技術が神奈川県の塗装屋に伝承され、塗装技能を競う風潮が残っていると感じたのです。 磯崎老のプロフィール、 「明治27年と東京・京橋の生まれ。明治40年14歳で横浜長者町の桜井に弟子入り、関東大震災の年30歳で横浜駅西口に店を持つ。昭和14年神奈川県の塗装業組合の組合長になり戦後日本塗装工業会の理事、顧問などをしているが、難しい塗装技法の簡易化を研究し、自腹で県内県外の講習会に走りまわっており、行李一杯の感謝状が唯一の遺産だという。….」

DSC_0334 教材用の塗見本の前に立って撮影された磯崎祐三さん、様々な技法で塗られている様子が見て取れます。

この本に記されている件、 奥さんの語る―――は、

明治生まれの職人さんの気質が面白く書かれていました。

「横浜市内といっても、もう保土ヶ谷のこんな遠くまでよくお訪ねくださいました。それにこんな朝早く―――。ハア、主人もすぐに参ります。なにしろあのひとはエライ癇癪持ちでして、時間の約束を間違えるの大嫌いで、一度なんぞ材料屋が時間に遅れて来たのに家に上げたっていうんで、「叩き斬っちまう!」って抜身の刀を振りかざして追っかけられたことがあるんです。ハイ、もちろん裸足で逃げましたとも・・・・・。ある時は、店の小僧より先に子供たちにご飯を食べさせました、っていうんで、「ばかやろう。子供なんぞおっぽりだしちめえ」って言ったかと思うと、椅子を振り上げてガラス戸というガラス戸をガチャガチャチャン!って割ってしまうんです。それで、そのあとすぐにガラス屋さんを呼んで直して置かないと、「ばかやろう。見っともねじゃアねえか!」こうなんです。なんでもすぐに「ばかやろう」なんです。誰が見っともなくしたんですか!---ねえ!ガラス屋さんも、建具屋さんも、毎度のことで「磯崎だ」って言いますと、主人の気性を呑みこんでいますから、「ホイ来た」って食べかけのお茶椀も放り出して駆けつけてくれるんです。ハ?「名人気質」? サア、なんだか存じませんが連れ添うものは迷惑いたします。それなのにこないだ、昔うちの小僧でいて、今は店を持っている弟子が参りましてね、つくづく私の顔を見てもうしますのに、「分った。こりゃ奥さんが悪いんだ。奥さんの最初のシツケが悪くて何でもハイハイって言ったから―――」と申しますから「そこまで、そこまで」ってあやまってしまいましたがね、あとで嫁に行ってます娘の所へ参りましてね、「夫婦ってものは最初がカンジンだから―――」こうこうしかじかおやんなさいなんて申したら、「もうそんなこととっくにやってるわよ」ってわらうじゃありませんか。---私も、昔が今なら居なかったんですが、昔はみんなそんなもんでしたからね。エ?いいえ、今はあの人ももう丸くなっちまって、乱暴に及ぶようなことはありません。まる年で68歳の好いお爺さんになってしまって、お酒を呑んじゃニコニコしてますが、かえってタマには元気に癇癪でもおこしてくれたら―――なんて思うんですよ。オホホホホ。オヤ主人が参りました―――・・・」

ここまでの記述、なんか落語の語りみたいで、著者の表現がいい―――。

地震、カミナリ、火事、オヤジと例えられていた時代ですかね。

でもこの頃の夫婦間、女房が居ないと何もできないオヤジ達だったと思います。 そんな職人気質を持っていた方が後進の指導と、模様塗装の簡素化に取り組んだことが特に神奈川県内に受け継がれているのでしょうか?。独断ですが! ペンキ屋という仕事ですから建築塗装分野と思います。 昭和31年の第1回の建設大臣賞を受賞されています。塗装技法として「ペンキ叩きコンビネーション塗装」という方法だそうです。 本にはいろいろと技法が紹介されていました。

  1. マーブル塗装
  2. コンビネーション研ぎ出し
  3. トラ目
  4. ケヤキ杢目
  5. 銅(あかがね)塗り

などなど技法を学んだ修業時代、やはり先輩から教わっています。 そんな経験から恩返しと思い手弁当で講習会を開いたのでしょう。

最後にこう語っています。

「おれが恩を蒙った職人衆への返しは、むずかしい仕事を工夫して、やさしく誰にでも簡単にできるやり方をお編み出して、それを隠さず広く伝えることだ。そうでなくちゃァ今日様に済まねえ。『だからこの道楽は大目に見てくれ』って話しているんです。ナア婆さんや。」 いいね~この心意気、さすが明治生まれだよ。

最近のことですが、ブログのコメントを通して、塗装の技術相談を受けた事があります。 ブルーハンマートン塗装品の焼付が上手くいかないというのです。

メールの内容から推察して、「塗膜の黄変」ではと伝え、温度、時間の見直しをしてはとアドバイスし解決できたお礼のメールを頂きました。

工業塗装の場合は、多少なりとも専門知識は必要ですからと本を読んで吸収しなさいと!伝えて置きました。 知っていればわかることが知識がないため遠回りした経験をし、自身知識を持つことに心掛けた経緯がありましたので!

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