芸謡化!?

この言葉を知ったのは、奄美民謡の稽古仲間のブログからでした。

仲間は、民謡など幅広い知識と見識があるので民謡などに関わるブログを書いています。

元は芸謡と言う言葉だそうです。

調べると説明記事が出てきました。

SNSの発展、発達は凄いですね。

情報検索が瞬時にできる時代になりました。

「…(10)童(わらべ)歌 子守歌(眠らせ歌,遊ばせ歌),手鞠歌,お手玉歌など(以上《民謡覚書》)。この柳田分類に対して,折口信夫は,柳田のいう民謡を(1)童謡,(2)季節謡,(3)労働謡に分類する以外に,(4)芸謡の存在を挙げている。芸謡は芸人歌のことで,日本では各時代を通じて祝(ほかい)びと,聖(ひじり),山伏,座頭(ざとう),瞽女(ごぜ),遊女などのように,定まった舞台をもたず,漂泊の生活の中で民衆と接触しつつ技芸を各地に散布した人々があり,この種の遊芸者の活躍で華やかな歌が各地に咲き,また土地の素朴な労働の歌が洗練された三味線歌に変化することもあった。…」コトバンクより。

要は、もともと土着の唄などが、洗練され本来の持ち味から離れて歌がスマートになると言う事なのでしょうか?

奄美民謡においても同じ現象がおきています。

手元に奄美民謡教室で推奨されたCD「奄美しまうたの原点・中山音女」(昭和3年に録音された復刻盤)がありますが聞いても我々が習う節回し、調べが違っているのです。

一番に歌われているのが、「あさばな節」テンポとしては単調、伴奏の蛇皮線も同様に、そして歌は音質の高低は当然ありますが、抑揚というか教わるような母音の歌い方はせず、あっさりとトン・トン・トンとテンポよく歌っている様に聞こえます。

教室で習う朝花節とは違い節回し、コブシをきかせると言うようなテクニックは使われていないみたいです。

この違いが「芸謡化」と言う事なのでしょうか。

この現象は、各地の残っていた民謡にも起きていると思われます。

民謡歌手なるものが存在し、民謡大会を開催して、歌比べで競い合ういます。

当然、人に聞いて貰う以上、どう唄えばと工夫をするでしょうし、どんな歌い方が聴き手を惹き付けられるのかと研究されている内に芸謡化が進み、その地方で育まれていた歌の持ち味に変化が起きて、洗練され「土の匂い」は薄まり、生活環境の大きな変化に伴い、歌の実感が消えてしまうことになっているのでしょう。

両親の故郷では方言「シマユミタ」が日常生活から消え、方言の持ち味「発音・訛り」が消え、本来の歌とは離れてしまいます。

小さい頃、家に親戚が集まると、母の従弟の方が蛇皮線を弾けるのでその伴奏に合わせて島唄を歌っていました。「唄あしび」と呼ばれるこの娯楽は、楽しみがない時代、島民にとっては疲れを癒し、明日の活力に繋げる働きをしていたことでしょう。

今の「カラオケ」に人気があるのも同じような理屈なのかもしれません。

各地で民謡が生まれたのも同じ理由だと思います。

映画「七人の侍」のラストシーンでは多くの女性が田植えをする場面がありますが、その時、太鼓、笛と歌で作業をすすめます。重労働になる作業でも歌にリズムに合わせてやることで負担が減り楽しく田植えが出来ると言う事なのでしょう。

今日、機械化が進んだ農作業では労働歌は不要かもしれません。

交通、通信手段が発達して地域性もなくなっている今、各地の民謡もオリジナリティーは薄まる運命にあるようです。

DSC_0167 (640x530)

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。

スタッフ募集中です

過去の社長ブログ

最近のコメント


→社長ブログを見る

follow us in feedly   RSS