ミャンマーの青年と!

12月8日、外国人技能実習生受け入れの事業を立ち上げた某会社の人と共に、ミャンマーの青年と会うことに。

切っ掛けはファックスで知った事からでした。

約束の時刻、11時に川越第二工場にきました。

関心を寄せた理由、今後人手不足が予想され採用を検討していた矢先だったことと、そして15、6年前から先輩が主宰する団体を通じてお付き合いをしていたことから、ミャンマー人が穏やかで、誠実な民度を有している事を知り、候補としていい印象を感じていたからです。

それとと同時に、その団体を通じて、開戦時ビルマ兵と共にラングーン攻略作戦に従事した日本人の方の講演を聞き、少なからずもミャンマーの歴史に関心を持っていたからです。

青年は、後々現法人で外国人技能実習生の派遣事業の責任者に登用されるようです。

事業に関してのお話を伺いながら、当然の流れとしてイギリスの植民地支配についても話題が及び、私が学んだ見解を話すと頷いていました。

アウンサン・スーチー女史、イギリス植民地支配がその中心となりました。

スーチー女史、かっての宗主国の男性と結婚していますが、実際の国民感情として反感を持つ国民がいると話すと、青年の父親が軍人さん、独立の話を聞いて経緯を詳しい事情を認識していたようで頷いていました。

「・・・1782年前王を殺害して即位したボードーパヤー王はアラカン王国を征服し、マニプール王国やアッサム王国を支配下に治め、ビルマ史上最大の版図を実現した。しかし、ビルマの西方への拡大はインドを支配するイギリス当局の利益と衝突し、英緬戦争が勃発した。

ビルマは三次にわたる英緬戦争に敗れ、最後のティーボー王はボンベイに幽閉された。1886年にビルマは英領インド帝国に併合された。・・・」ウキぺディアより。

イギリスは王様を殺し、王女はインドで売春婦に身を落とし悲惨な目に合っています。彼も知っていたようです。

西洋諸国、大航海時代から帝国主義で植民地支配をして過酷な扱いをしています。西郷隆盛は隣国、中国清、アヘンを切っ掛けに侵略している様子を見て、キリスト教国の残虐性を知り非道な宗教を批判しています。

スーチー女子の父親、アウンサン将軍は戦前イギリスの追跡をかわし日本で軍事技術を学び、日本は負けましたが戦後独立義勇軍三十勇士とともにイギリスと戦い独立を果たしました。日本いた時面田と名乗っていました。日本は東アジア解放のためにと活動していたのです。

その時共に戦った人たちが軍事政府を樹立していたのですが、欧米がスーチー女史を担ぎ上げ、民主化と煽っていたのです。

15、6年前ミャンマーの若者、軍事政権を悪く言うものはいなかったです。

 青年は私が認識していたミャンマーについて語ったことからさらに認識を高めたようでメールで感謝の言葉を述べています。

一部抜粋して、

「・・・今日、社長さんのから ミャンマー人に対しての 思いを聞いて ミャンマー人として 自分心もっと 強くなりました。これから、ミャンマー人実習生受け入れの件ついても 宜しくお願いたします。・・・」

勉強したのでしょう、文法的な間違いはありましたがその心情は伝わってきます。

文面から素直な青年だと思いました。

素敵な出会いでしたので、昼食をともにして交流を深めた次第。

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箸も上手に使い、かなり日本の生活に慣れているようです。

食後、工場を見学させ、塗装作業の説明をしたのち、記念にと撮影を頼まれました。

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帰国前だったようで、来る機会を持てたと同行者から説明を受けました。

縁があったようです。

事業が軌道に乗った時、お願いしようかと思っています。

楽しいひと時でした。

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