武士の情け、「惻隠の情」

テレビ番組で大東亜戦争時、昭和17年撃沈されたイギリス海軍乗組員を救出した駆逐艦イカヅチ艦長工藤俊作氏を取り上げていた。

詳細は次の通りです。

 スラバヤ沖海戦での敵兵救助作業

「雷」は第六駆逐隊に属し、日米開戦時には香港の海上封鎖任務に就いていた。その後、南方の諸作戦に参加した。1942年、スラバヤ沖海戦の掃討戦において撃沈された英海軍重巡「エクセター」の乗組員376名を3月1日に僚艦「電」が救助した。「雷」は翌3月2日、英駆逐艦「エンカウンター」等の乗組員422名を救助し、翌日、パンジェルマシンに停泊中のオランダ病院船「オプテンノート」に捕虜を引き渡した。その後、「雷」はフィリピン部隊に編入され、さらに第一艦隊に編入し内地帰還を命ぜられた。5月には第五艦隊の指揮下に入り、アッツ・キスカ攻略作戦に参加した。ウキペディアより。

番組の中で使われてた言葉が「惻隠の情」、この場合は敵であるイギリス海軍乗り組み員が救命ボートで漂流、艦長工藤は見殺しには出来ないと武士道精神から救出作業を行うのであるが、その動機が「惻隠の情」、いわゆる武士の情け、明治維新以降日本帝国陸軍、海軍には武士道精神の涵養があったと思い起こされました。

 日露戦争の際、激戦であった旅順203高地の戦いに勝利した日本の将軍乃木希典、敗れた露軍将軍ステッセルの水師営会見でも乃木将軍は、敗軍の将ステッセルとの記念写真を撮る際にも帯剣を許し名誉を重んじたということで世界的に武士道精神が注目を浴びた事もその「惻隠の情」だったのです。

 私が武士の情けとの言葉、どうやって覚えたかと言えばやはり映画かな!?

戦後間もない頃、映画時代劇は黄金期、とくに東映は片岡知恵蔵、市川歌右衛門、黒川弥太郎、大友柳太郎、月形龍之介、若手では中村錦之介、東千代之介と人気がありよく見たものです。

映画を通して、武士の有様を知ったのだと思います。

忠義、武士に二言は無い、武士は相身互いなどなど知ったのでしょう。

そして武士の魂・刀などもそうなんでしょうね。

子供心にでありますが漠然と武士、侍の精神などを知り武士道とは何たるかを知識と持つことが出来たのでしょう。

忠義心と言えばやはり「忠臣蔵」ですよ。

切腹の際、介錯を務める人は信頼関係、友人など縁あるものですよね。

子供心にその心情は理解できました。

 

でも昨今、時代劇を見る機会も減り若い世代にとっては「武士の情け」との言葉は死語に近いのでは!

大分前になりますか義理の叔父が嘆いていましたから。

そんな記憶もあったので、朝のミーティングで20代から30代のスタッフに聞いてみると意味は分からないとの返事、そんなわけで冒頭記述した駆逐艦艦長の行動を話、「武士の情け・惻隠の情」の精神作用を教えたのです。

若い世代は私らと比べても、日本の伝統的な言葉、所作など学ぶ機会も少ないので折に触れ話してあげようと思っています。

以前は、武士の心得として克己をおしえその最たる具現は「切腹」と話したことも。

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