谷中銀座で出会った石焼き芋屋から返事が!!

“谷中銀座を散策”のブログで取り上げた高級車センチュリーの車で石焼芋を販売している者からメールで返事がありました。

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名刺交換していたのでメールアドレスを知っていたのです。

私が書いたブログ「谷中銀座を散策」の感想を書いてありました。

「・・・とってもいい感じに書いていただきありがとうございます。
僕も、つねちゃんブログをface bookで宣伝しておきます!
今日も今から、焼きにいってまいります。
ちなみに、特設サイトを今日オープンしました。

http://yotta-web.com/kintoki/

これで3月中は僕たちがいるところがわかるので、またお話しに
来て下さい。
それでは、またどこかでお会いできる日を楽しみにしています。・・・」
 

会った時の印象通り、あちらこちらと売り動いているようです。

メールの返事には親父の経験を書いて知らせました。

若い時の親父と同様の行商なので。

でも、親父の時代と違い生活感が薄く、切迫感は無い様に見受けられました。

親父の場合、勤めていた叔父の工場が戦災で焼失し、働き場所を失い、その頃生まれていた子供二人と女房を食わせるために露天商を始めました。

皮切りに、だんご売り上野の山で売ったとか、記憶にあるのが上野の松坂屋デパート前での露天商、”タイガー紙”を売っていたそうです。やくざに脅され場代を払えてと言われたが、隣の露天商の叔父さんに助けられたとか。

タイガー紙、辞書に使われる薄い丈夫な紙、これでタバコの葉を丸めて吸うのに合ったようです。

例の西部劇で煙草を巻くシーンがありますがそれです。

吸い残した煙草の葉っぱの再利用で売れたみたいです。

それと、モクひろいで集めたタバコの葉を使って煙草にして戦後は売っていたようです。

モノ不足の時代ですからね。

 

その後、ノートの行商をはじめ成功して飯田町に店を持つまでになりました。

動機は家族を食わせるため。

しかし、谷中銀座で出会った石焼き芋売りの行商の二人、家族を持つでもなく独身、身の軽さから商売を楽しんでいるように見られたのも時代の差なのかなと感慨深く思いました。

時代は変われど、商売繁盛しなければ、始めた甲斐は有りません。

目指したものを勝ち取って欲しいもの!!

彼等のホームページで、

見ると販売先のスケジュールが分かります。

素朴な味、石焼き芋をご賞味あれ!!

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