戦後生まれのオヤジの会話 PartⅢ–雑感–

昨日、午前中免許更新のためにと近場の警察署にで出向いたが、目的地になく、ひょっとしたらと思いなおし会社のもどり、ネットで状況把握、電話番号で検索し再度で出向いた途中に案内の看板が、なんだここに移転していたとわかり署の受付へ。

係に訊くと、2年前に移転とか。予定の時間を過ぎて更新は終了、昼時となっていました。

それじゃーと、久しぶりに友人に電話、留守電だったので言付をして待っていると返信が。

今日はたまたま仕事がないから会おうということになり、食事でもしながら話そうかと決まりました。

 

彼とはゴルフで知り合いとなり、15、6年が経ちますか。

もともとは、大手都市銀行に勤めていた銀行マン、そんなキャリアから面白い話が訊けるのも親しくなった理由、それと同じ霊園という事がさらに身近に感じさせる事となりました。

バイクでやっていきました。

蕎麦屋で昼食をということで、徒歩で会話をしながら道行、仕事柄すっかり日焼けしたくましい面構え、ただ2、3年前大病し死の淵まで追い込まれた経験者、運よく治り現在に至っています。お互い戦後生まれ大きな病気の一つや二つは経験するねと!

先ずは久しぶりだから一杯ということになり、ビール、そしてツマミに卵焼きを注文、ここのはうまいよとすすめました。

お互いの近況報告、先ず出た話が彼のおふくろさんの話し、90歳を超えちょっと認知症気味とか。一人暮らしが良くないのかなとは彼の弁。おふくろさん彼が家を出てしまい、兄弟が家に残らなかったことが後悔とか。一人一緒に住んでいてくれたらと愚痴るそうです。

身近にいればどれほど心強いか、家内のおふくろは90半ば、しっかりしていると話すとそれはいいと返事があり年寄りが年寄りを看る時代親が元気だと助かるねとは実感です。

色々な話題に触れながら会話進みます。

今は警備の仕事をやっていますが、彼のキャリヤから信任があるようです。

面倒を見る立場ですが、そんな責任は負っても仕方ないと言っていました。年配者だらけ今更教育でもないよ!それもそうだと

返事。

 

私は彼のオヤジに以前から関心があり、改めてキャリアを訊いたのです。

大東亜戦争でビルマ戦線に工兵として兵役、あの時代2年間の務めを果たし日本へと戻れたそうです。

帰還の際、7隻の船団でしたが6隻は潜水艦に沈められる危険な目に遭いながらの帰国、強運な人だなーと感心しきり。

昭和18年頃の事、私の母も結婚のため奄美・喜界島から船に乗り、同じように制海権が失われていた頃で、危険を冒しての上京と話しました。

今とは違い、死を意識する時代でしたね。

盃を傾けながらの会話になって、銀行時代の経験談に入れ墨の客が来て脅されたことがあったとか、しかし彼にしてみるとちっとも怖いことはなく、逆に「もんもん」を消してあげようかと脅したそうです。

理由は小さい頃から回りに「もんもん」を入れた人が大勢いた事、親父も仕事柄「もんもん」を入れていたそうです。

発破などを扱う人たちで、気も荒くまとめるには「もんもん」があった方が都合がよいので親父さんも彫ったそうです。

そんな親父さん、息子が銀行に入るとわかると、身元調査では不都合と焼いて消したそうです。

日常的な出来事でしたから、怖くなかったのでしょう。!

面白い話です。

私らの世代、銭湯にいけば「もんもん」入れた人は良く見かけました。

別段、わぁー凄いと感じる程度でしたね。

何時頃からですかね、いやな印象に変わってしまったのは。

高倉健の唐獅子牡丹頃までは格好いいと思っていましたが。 

彼のオヤジ、幾たびかの死線を越えたのに、作業現場で事故死だとか。

50代半ば、彼には一度でいいからお前の親父に会ってみたかったと。

会話に出てくる親父さん、典型的な日本のオヤジに思えてならないのです。 

 

 

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