12月8日 日米開戦の日–1941–

中学の歴史教科書で学んだと記憶している事、ABCDラインの経済封鎖。
それがもとで、資源の輸入が出来なくなった事が開戦の一因と理解したような気がします。
その後いろいろ当時のニュースなどで、日米交渉野村大使、ハルとのやり取りを知ることになりました。
日本にとって認めがたい要求をアメリカが出し、日本を開戦に踏み切らしたと考えるようになっていました。
下の記述がそれです。

「ハルノートは以下の文書である。
1・ 日本軍の支那、仏印からの無条件撤退
2・ 支那における重慶政府(蒋介石政権)以外の政府、政権の否定(日本が支援する南京国民政府の否定

3・ 日独伊三国同盟の死文化(同盟を一方的に解消)
日本に対し大陸における権益を全て放棄し明治維新前の日本に戻れと言う事である。
江戸時代アメリカに武力で開国を強制的にせまられて以来欧米列強に揉まれながらも日本は血の滲む努力の末やっと対等になりつつあるところで「全てを放棄しろ」である。
こんな訳の解からぬ条件を突き付けながらも経済封鎖の解除には一言も触れて無い所などはさすがは「詐欺師国家」アメリカである。
日本は生存権を賭けて日米開戦の道を選択したと言うより開戦という選択を取らされたのである。」ネット記事より引用。

イラク戦争の時もそうでしたが、大量殺戮兵器を持っていると難癖をつけ戦争したアメリカの態度を見る思いがします。
国際社会の警察国家と自認するのは結構だけど、傲慢さが鼻につきます。

こんな状況であれば、戦争せざるおえないところまでアメリカは追い込んでいます。
歩み寄る気持ちがあれば、最低でも相手側が納得できる条件は残すと思うのですが?
記述通り、アメリカの一方的な対応です。

今年3月のこんな記事が出ていました。
「「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石
2012.3.30 08:11 (1/2ページ)[歴史問題・昭和史]
日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1951(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めて。」

 

ハルノートの内容を読めば当然でしょう。
それがいつの間にか「侵略戦争」と決めつけられたてしまったのです。
戦争に負けた事、子供心に悔しさを感じていたのでしょうか、現在に至るまで勝敗は別として喧嘩両成敗という視点から「大東亜戦争」を分析するようになっていました。
ですから、東京裁判などは公平な裁判とは思っていません。

東京大空襲で十万以上の一般市民を殺していおいて罪に問われない、これこそ戦争の本質をついています。
この作戦を指揮した将軍、負けると戦争犯罪人になってしまうと心配したそうです。
原子爆弾投下も一緒でしょう。

 

戦争やるからには負けてなりません。

侵略戦争などでなく、イスラム教徒並みの表現をすれば「アジア解放の聖戦」というべきものでした。
ビルマ、インドネシアで植民地解放のため死んでいった日本兵が大勢いることがその証。
そんな事実を中学の歴史教育では教えていません。

>「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石

ですからこんな記述になるのです。

戦後GHQ、マッカーサー命令でアメリカ側に都合の悪い書籍は焚書したそうです。
そのため、戦後日本人には真実の部分は隠蔽されてしまったのです。

歴史事例

薩摩藩が奄美諸島に施政した占領政策・植民地化300年も前、しかし、やり方が全く一緒とは興味深い。

「暗き生活環境、醸成された深刻にして哀切と記述があるのは、「1607年(慶長14年、島津氏の琉球侵攻の結果、奄美諸島は琉球から分割されて、薩摩藩に直属する領土となりました。それからあと、1871年(明治4年)に廃藩置県の制度ができるまでの260年間、私たちの先祖は、封建政治のもとで、苦しい生活をしなければならなかったのです。当時、薩摩藩は財政的に、非常に困っていました。 奄美諸島を経済的に利用するだけで、文化の発展などについては、全く考えてやらなかったようです。 しかも、1706年(宝永3年)、薩摩藩は奄美諸島の人民の系図や文書の記録類を取り上げて焼き捨てたのです。」奄美郷土史選集より・・・そんな背景があり、そのような記述があるのです。」ブログより。

 

新聞メディアも片棒を担ぎ情報操作し今日まで同じ事をやっていますが、IT社会で嘘の報道をすれば、ばれる時代になっています。
間違った歴史教育のために「主権国家とは何たるか」が分らない国民が育ったのでしょう。
丸腰で国を守れますか、脱原発で、卒原発で原子力技術を失う意味を分かっているのでしょうか?

 

コメントが 4件あります

  1. 米の祝福さんより2012年12月11日10:16 PM

    社長、こんにちは。
    >戦争やるからには負けてなりません。
    生前、うちの祖父母は終戦の時に、「もう欧米の奴隷になってしまうんだ…」と覚悟
    したという話しを聞いたことがあります。今、一般的に言われている「日本は侵略戦争を
    した」というのが事実なら、なぜ「侵略戦争」に負けた結果として「奴隷になる」必要が
    あるのでしょう?侵略するにあたって、その抵抗に負けたから逆に奴隷にされる国なんて
    あったでしょうか?
    つまり、「日本は侵略戦争をした」という見識そのものが間違っていますよね。
    もちろん私個人は、戦争は嫌ですしやりたくもないです。「戦争」=「悪」だとも思っています。
    しかし、そこに至る歴史、経緯をわからずに無責任にそれを語ることも「悪」だと思います。日本近代史を正確に語らずに自虐史観を押し付ける現代教育は「悪」ですね。
    私は聞きかじりしか分かりませんので、もっと勉強する必要ありますね…。

  2. 上野2012年12月12日9:05 AM

    米の祝福さん、お早うございます。
    コメント有難うございます。
    貴兄が言うように、近現代史の勉強は必要ですよ。
    最近30代半ば営業マン二人と会話しましたが、ほとんど知識なく自身の歴史的見解はなかったです。不勉強といえば不勉強、教養を高めるために文化、芸術、歴史に関心を持てと注意した次第。
    私自身、子供の頃のある大人から言われた一言が占領政策に関心が行ったのです。
    こうです。「マッカーサーは日本人の勇気と団結心を恐れ、弱くしようと考えた」
    いつだったかはわかりません。しかし私の耳奥にしっかりと留まったのです。
    それがあったから今回のようなブログを書く自分がいるのでしょう。
    >生前、うちの祖父母は終戦の時に、「もう欧米の奴隷になってしまうんだ…」と覚悟
    したという話しを聞いたことがあります。
    なるほどと思い入りました。
    マッカーサーはそう思っていました。
    国際社会は弱肉強食との現実を認識し、一日も早い平和ボケの解消をと願っています。
    今読んでいる「戦後史の正体」は占領政策が「日本弱体化」一点に絞られていた事がよくわかります。

  3. しんさんより2012年12月16日11:04 AM

    社長、お久しぶりです。
    WW2当時大人だった日本人は、日本の正当性を理解しており、日清戦争・日露戦争に勝ってきたので、大東亜戦争も必ず勝つと思っていたのだと思います。
    私は子供時代・若者時代に祖父から戦争の話を”聞かされ”ていましたので、教科書に載っているような「日本が悪いことをした」とは思っていませんでした。
    祖父の戦争の話は長すぎる上、悲惨な情景や兵隊のことが多く、「やまもといそろく」や「とうじょうひでき」が出てくると訳が分からないので、真剣に聞いておらず途中で放棄していました。今思えば、どうやら日本の正当性や日本人魂を私に伝えたかったのではないかと感じます。しっかり聞いておけば良かったと思っています。
    これから選挙に行きます。

  4. 上野2012年12月16日12:56 PM

    久しぶりだね。
    お元気ですか。
    コメント有難うございます。
    年代的に、貴兄のほうが後ですね。
    お爺さんが戦争体験を話してくれたのですか。
    父は、戦争に行っておらず、母の兄、つまりおじさんが整備兵、海南島で終戦を迎えたと聞いています。
    父からは空襲のなはし、おじさんからは戦争話を聞く機会を持つことはありませんでした。
    しかし、私の場合映画から知ることになります。
    「ひめゆりの塔」「雲流るる果てに」など小さい時に観ました。
    それから戦記物、本などから知識を得ることに。
    そして今回書き記した内容に行き着いたのです。
    戦争に関する歴史認識、公平に情報を開示して正当性あるものとして見直す時期でしょう。
    軍隊にしても、主権国家足るべき「国の楯」として認識を持たねばいけません。

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