映画「ムルデカ17805」を観た。–インドネシア独立に命捧げた日本兵–

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休みの日、いつものようにチャンネルを回して見つけて観た映画のタイトル。

数字”17805”は皇紀2605年、8月17日を表わして、スカルノ、ハッタが独立宣言文に書いた日付けだそうです。

インドネシア独立のために戦った日本兵のお話。

この史実は知識として持っていました。

日系2世442部隊と同様、テレビ番組を観て知ったのです。

確か、昭和40年代の頃です。

ニュース番組ではなく、今でいうバラエティー形式でゲストとして招き体験を聞くと言ったような編成でした。

当時、戦争体験者も40代と壮年期の頃です。

もっと前「快傑ハリマオ」というテレビ映画を放送していましたが、確か舞台は東南アジアでしたのでその事と関連があったのでしょうか。

戦争の大義に東南アジア解放、大東亜共栄圏なる方針もありましたから、その一環にある事をベースにして作られたのでは!

先の大戦、太平洋戦争と呼びますが、私が知る80代の方は大東亜戦争と言いますね。

戦後言い換えられたようです。

日本の歴史としては、呼称「大東亜戦争」と言うべきと思いますが。

「ムルデカ」インドネシア語で「独立」を意味します。

成程と思い見入った映画。

物語、主人公である島崎中尉、陸軍中野学校出。

東京中野にあったので中野とつけられました。

昭和13年に創設、スパイ養成学校です。

任務に軍の後方支援というものがあり、島崎中尉、現地インドネシア青年に独立のため鍛えて戦える戦闘集団を編成します。

その教練を行う組織を「青年道場」と名付けるのです。

軍事訓練が目的、隊列行進、射撃等武器の扱い方、相撲などで体力造り、そしてオランダから「独立」を勝ち取るためにと強い精神力を育ててやります。

戦略的には共通の相手、オランダ軍をやっつけるため日本軍と呼応して戦える集団にしたのです。

ペタ、ジャワ義勇軍です。

1945年9月イギリス、オランダが侵攻し再び支配します、日本軍は負けましたが義勇軍はこれからが戦いです。

映画では敗戦の年、皇紀2605年の表記があり、昭和15年が確か皇紀2600年でした。

「紀元は2600年~♪ ♪」と言う歌もありましたね。

開戦が翌年昭和16年、4年間の戦いでした。

彼等、戦うために武器が欲しいと島崎中尉に迫ります。「武器庫の鍵を渡せと」しかし、イギリス、オランダ占領下、彼の立場では部下の安全を確保する任務があり渡せないのです。

リーダーの一人が我々は暴徒でないと言って一旦は引き下がりますが、情勢の変化とともに武器が必要となってきて脅しをかけて武器を強引に奪ってしまいます。

そのためイギリス、オランダ軍に島崎中尉は拘留され留置所に、彼を奪還するために義勇軍が命を賭けて助けに来るのです。

彼等、戦闘、戦い方が分からないので彼に指揮してもらいたいのです。

仲間が奪還のため何人か命を落としますが、「ムルデカ」のためと潔く命を投げ出したのです。

その間、役柄では親友でもある宮田中尉が、その一件でオランダ兵から「島崎はどこにいる」と拷問です。

その最中、瓶でこめかみを割られ血を出して失神、再び拷問を受け顔は腫れて凄まじい顔に変貌します。

椅子の肘掛けに括られた腕にナイフが刺さります。

そんな拷問にも耐えながら、

詰問するオランダ兵に苦渋に満ちた顔で「軍人として生きた事が罪と言うならば、350年間植民地支配したことは罪ではないのか」と反論します。

しかし、軍人として生きた事「男子の本懐」と言いつつ、戦犯として処刑されます。

ここに戦争の大義、アジア解放の精神が軍人に伝わっていたことを見る思いがします。

この事、イギリスからビルマ解放のためとビルマ兵とラングーンク攻略作戦に参加した方の講演も聞いた事がありますが同様のことですね。

彼には日本に幼い女の子がいて、その事が妻子に手紙で伝えられます。

その場面が、島崎中尉の母御、彼の妻、幼子の文子が対面している場面でした。

母親役、藤村志保さん。

現地でインドネシア独立のために残った島崎中尉に下に彼を慕って部下があつまってきます。

義勇軍とともに彼らは中尉指揮下で、市街戦、ゲリラ戦を行いオランダ軍と戦いインドネシア独立を勝ち取ります。

島崎中尉、恋人と思しき現地女性と会話中に狙撃され 死んでしまいます。

独立のため戦った日本兵その数2000、そん半数が戦死です。

大東亜戦争の大義、アジア解放の精神が日本兵に浸透していたかその事実を知らされる数字です。

最後の場面、幼子であった文子が中年の女性となってインドネシアに訪れ、埋葬されている墓の前で義勇軍の元戦士から感謝の言葉を貰うのです。日本刀と思われる軍刀で「捧げつつ」。

女優松原千恵子が演じていました。

島崎中尉、宮田中尉の墓は並んで造られていました。

多くの墓標が整然と並んでいる光景が映し出される場面を見て、インドネシアの人々ここへ訪れるたび独立のため戦った日本兵に感謝するのではと思いました。

開戦時、資源の石油確保のために東南アジアへ侵攻しイギリス、オランダと戦うのですが、それと並行して植民地解放との大義を掲げ作戦展開したと聞いています。

日本軍のアジア侵略などと批判もされていますが、やはり1000名の日本兵がインドネシア独立のため亡くなられていること紛れもない事実、日本兵には”アジア解放”なる大義として認識されていたのでしょう。

こんな史実を詳しく知るといかに旧日本軍の実態が戦後負のイメージに歪曲されているかという思いに駆られます。

正しい史実として歴史教育に使ってほしいものです。

追記

この映画を見て、20年近く前に買った「独立アジアの光」のビデオを思い出し、確認のため後日観てみました。

構成は当時、アジアのほとんどが欧米列強の植民地となって奴隷同様な状態だったことを紹介し、インドネシアが日本兵とともにイギリス、オランダと戦って独立を勝ち取り、それが火種となりアジア諸国、アフリカまでに及んだことを描いて、

独立にかかわった人達が紹介され、インタビューを受けながら当時を回想し体験を語っていました。

映画の内容と摺合せした形になりましたが、独立記念日には日本の軍歌も謳われていました。

今の人は知らないでしょうが、「愛国行進曲」など日本語で婦人合唱隊が唄ってる場面などもあり日本に対して感謝の念が垣間見えました。

 

参考資料

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コメントが 6件あります

  1. シンさんより2012年4月7日8:58 PM

    日本軍の軍歌を聴くと、戦時中の希望に満ちた熱き思いが、結果から来る悲壮感に変わって聞こえてしまいます。
    日本の正義!が米軍の正義?に負けましたが、日本の目的は達成できたと考える風潮があります。果たしてこれで良いのでしょうか。
    「紀元2600年」や「愛国行進曲」は日本の目的そのものであり、米国の属国扱いで良いはずがなく、反日教育されて良いはずがありません。
    九段会館で行われる旧日本陸海軍軍楽隊の演奏会を聴きに行ったことがありまして、2時間あまり日本の軍歌や行進曲の連発で、観衆が国旗を振り、歓喜し、涙を流し、その雰囲気は愛国心に満ち溢れています。
    これが戦時中の日本の雰囲気なのかも知れません。
    インターネットが普及したことにより、図書館や書店に行かなくても昔の状況がある程度分かるようになりましたので、日本の正義が日本人に理解されることを望んでいます。

  2. 上野2012年4月8日2:38 PM

    シンさん!
    こんにちは。
    コメントありがとうございます。
    >九段会館で行われる旧日本陸海軍軍楽隊の演奏会
    そのような催しがあるのですか?
    子供の頃、まだ軍人会館と言う人たちが周りにいたので、
    九段会館と戦後呼び名が変わったことを知っていました。
    母がよく「軍歌」を口ずさんで、小学校のころから覚えて私も歌っていました。
    旧日本陸軍ということは今はやっていないのかな?
    聴きたいですね。
    言われる通り歌に託した思いは共感されたと思います。
    インドネシアの国民に今でも歌い継がれているのも頷けます。
    >日本の正義が日本人に理解されることを望んでいます。
    最近新聞で「日本は自衛戦争」とのマッカーサー証言を都立高校の教材に掲載とありました。時間は掛りましたが理解されてきたのでしょう。
    戦後歪曲されたモノが徐々に是正されるような気がします。
    最近の国際情勢が、”非武装中立”などの考えがいかに危ういか教えています。

  3. 浩さんより2012年4月13日7:07 PM

    本日は、ご教授、ご指南いただきありがとうございました。
    我々の世代は、この様な歴史を知らずに生きてきました。
    また、あまり知ろうともしていません。日本人としての恥ずべきことだと自分でも思います。
    教育の在り方にも疑問に思うことがありますが、情報化社会のいまとなっては、
    自分自身も何が正しくて、何が誤っているのかが判断つきづらくなっていることも事実です。
    情報を簡単に操作、改竄、ねつ造することができますし、
    ましてや、教育そのものが歪曲しているのだとしたら、真実は闇の中です。
    それは怖い話ですが、だからと言って時代の波にただ流されるだけではいけません。
    社長がおっしゃっていた「克己心」。胸に響きました。(読めませんでしたが。苦笑)
    例え時代が移り変わろうとも、日本人として忘れてはいけない心、大和魂。
    職人としての心得。グローバル化の時代だからこそ、いま一度見つめ直し、
    ここに我々がいることを先人たちに感謝と敬意の念を忘れずに、
    今後も精進して参りたいと思います。
    社長の熱意、気概が伝わりました。
    思いがけぬことで驚いていましたが、大変貴重な時間でした。
    ありがとうございました。

  4. シンさんより2012年4月14日12:32 AM

    こんばんは。
    旧日本陸海軍軍楽隊の演奏会は今でも行われているようです。
    私が行ったのは8年ほど前で、軍楽隊員の一部に戦時中に演奏していた本物の隊員がいまして、かなり高齢でしたが元気一杯に演奏していました。
    ↓例えばこのようなページで紹介されています。
    http://blog.livedoor.jp/ht15325/archives/51910757.html
    ↓最近開催された様子が動画であります。
    http://www.youtube.com/watch?v=0xu1YAB8LkY

  5. 上野2012年4月15日2:45 PM

    浩さん、コメントありがとうございます。
    >「克己心」。胸に響きました。
    そうでしたか!私としても説明をした甲斐があります。
    でも、ブログ「克己心について」で記した通り今は使われなくなった言葉と貴兄の反応から察した次第。
    会話の終わりに、「失われた手仕事の思想」の序文を読んで聞かせたのは、
    職人さんの仕事への責任感、姿勢を知ってもらいたかったからです。
    たまたま、うちの職人に聴かせる積もりでしたから。
    「職業的倫理観」を理解させるためにも。
    貴兄の奮闘努力を期待しています。

  6. 上野2012年4月15日3:23 PM

    シンさん!こんにちは。
    教えて頂き有難うございます。
    定期的に行われる催しのようですね。
    母が歌っていたので知らず知らずに「軍歌」を覚えたのですが、
    小学校に近くに靖国神社があり、大灯籠のレリーフの「肉弾三勇士」を見た時、
    その軍歌が思い浮かんだのも聞いていたからです。
    小学校4年位の時だった思います。
    大学生時代、コンパでもあの頃は軍歌を歌う学生がいましたよ。
    ということは唱い継がれていたのでしょうね。
    母がよく歌った軍歌で歌題がわかりませんが、
    狼吠ゆる北満洲♪~、星は冴ゆれど影はなし♪~
    襲撃無残や銃剣に♪~、取り囲まれて露と消ゆ♪~
    が思い出されます。
    子供の頃ですから、歌詞を間違えて記憶しているかもしれませんが。
    高校の頃になると記憶が定かではないのですが、母が買ったのか軍歌のレコードがあり、覚えようとよく聞いたもんです。

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